韓国・釜山広域市北区が池田大作SGI会長夫妻を顕彰 他

2014年2月27日(木)更新:4
【韓国・釜山広域市北区が池田大作SGI会長夫妻を顕彰】
釜山広域市北区の「特別顕彰牌」授与式。黄区庁長(前列中央)が、韓国SGIの代表ら850人と記念のカメラに(亀浦常勝文化会館で)
《黄区庁長 国境超えた対話を推進 平和と共栄の心広げた》
●韓国・釜山広域市の北区から池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻に、「特別顕彰牌」が贈られた。世界平和と韓日友好への多大な貢献を讃えるもの。授与式は7日、同区の亀浦常勝文化会館で挙行され、同区の黄在寛区庁長、韓国SGIの金仁洙理事長、金殷瀾婦人部長、釜山第4方面の代表らが出席した。
釜山広域市の北西部にある北区。金井山や白楊山が聳え、洛東江の流れが潤す。
 人口は30万。交通の要衝でもある同区には近年、最先端の設備を備えたニュータウンが続々と誕生。“人間と自然が調和する福祉都市”を目指し、勢いよく発展する。
 この愛する天地で、地元SGIの友は、「良き市民たれ」との池田SGI会長の指針を胸に、国土大清掃運動や福祉施設でのボランティア活動等を続けてきた。
 こうした中、知人を通し、SGI会長夫妻の存在を知った黄区庁長。さらにSGI会長の著作を読み、創価人間主義への理解を深めてきた。
 晴れの授与式は、婦人部「新世紀合唱団」の歌声で開幕。
 黄区庁長から韓国SGIの金仁洙理事長、金殷瀾婦人部長に特別顕彰牌が託され、会場から盛大な拍手が起きた。
 顕彰牌には、SGI会長夫妻が「仏法の人間主義に基づき、世界平和と韓日友好の礎としての役割を果たしてこられた」等と記されている。
 あいさつに立った黄区庁長は、次のように語った。
 「池田会長夫妻は、国境を超えて対話を推進し、国家間、人間同士の不信の壁を取り除いてこられました。相互理解と人類の共栄の心を広げる会長夫妻と共に、SGIの皆さまは地域のために奉仕活動を続けておられます。市民一人一人が幸福を分かち合える社会へ、皆さまの一層のご活躍に期待します」

   (聖教新聞 2014-02-27、以下)


池田大作SGI会長の写真詩集「わが心の詩」 スペイン語版が発刊】
スペイン語版の出版記念会。アルカラ大学のペーニャ名誉教授が記念講演した(アルカラ大学で)

《アルカラ大学で出版記念会
 ペーニャ名誉教授 民衆への尊敬に満ちた詩 社会の精神土壌を豊かに》
池田大作SGI会長の写真詩集『わが心の詩(うた)』のスペイン語版が、スペインのアマルゴルド社から発刊された。
 これを祝賀する出版記念会が13日(現地時間)、アルカラ・デ・エナーレス市のアルカラ大学で行われ、多数の大学関係者らが出席した。
      ◇ 
 『わが心の詩』の発刊は1976年(昭和51年)。SGI会長が撮影した四季折々の写真と、詩や贈言が収録されている。
 同書は英語、タイ語ポルトガル語、フィリピノ語、フランス語、モンゴル語で翻訳出版されてきた。
 今回のスペイン語版で7言語目となる。
 SGI会長は、スペイン語版の序文にこう綴っている。
 「詩歌には、国を超え、文明を超え、時を超え、世代を超えて、人類の心と心を結ばずにはおかない、不思議な力があります」「詩歌には、まさに一人の人間の“内側からの変革”を励ましてやまない力があります」
 同書に「まえがき」を寄せたアルカラ大学のフランシスコ・ペーニャ名誉教授は語っている。
 「池田博士の詩には民衆への深い尊敬の念がちりばめられています。人間主義の真骨頂を見る思いです。この詩集は、現代を生きる人々を励まし、鼓舞してくれるものです」


【SGIアメリカ訪問団 ケイン国連軍縮担当上級代表を表敬】
●国連軍縮担当のケイン上級代表をSGIアメリカ訪問団が表敬。核廃絶軍縮について意見を交わした(国連本部内で)
創価学会平和委員会の寺崎議長を中心とするSGIアメリカ訪問団は20日(現地時間)、ニューヨークの国連本部の軍縮室を表敬訪問し、軍縮担当のアンジェラ・ケイン上級代表と懇談した。
 ケイン上級代表は長年、国連に勤め、政務、平和維持、管理の分野で活躍。2012年3月、潘基文事務総長から国連が主導する軍縮問題全般の責任者に任命された。
 席上、ケイン上級代表は「SGIは、素晴らしい平和活動を推進しておられます。軍縮室に協力し続けてくださり、心から感謝しています」と述べるとともに、市民社会の役割に大きな期待を示した。
 寺崎議長は「SGIは今後も、市民社会の立場から核廃絶軍縮問題のテーマに真剣に取り組んでいきます」と語った。


【石川で「平和の誓い」フォーラム】
平和運動「SOKAグローバルアクション」の一環として、青年部主催の「平和の誓い」フォーラムが23日、金沢市の石川文化会館で開催された。
 来賓の山野之義金沢市長があいさつ。石川県原爆被災者友の会事務局長の西本多美子さんが被爆体験を語り、藤田伸博さんが被爆2世としての思いを述べた。
 続いて、漫画『はだしのゲン』の翻訳に尽力している浅妻南海江さんが、「学会の一貫した平和運動に深く感銘を受けました。今後も、青年の活躍を応援していきたい」と期待を寄せた。


【名字の言】
脊椎動物が陸上に進出したのは約4億年前。その理由は今日も研究の途上だが、呼吸で酸素を得るには、水中よりも大気中が、はるかに有利なことは確かだ
●同じ場所に安住するより、厳しい環境に立ち向かったものが強くなる。20世紀を代表する歴史家トインビー博士の指摘した“挑戦に対する応戦”は、文明の進歩ばかりでなく、自然界全般に当てはまる原理のように思える。人間も同じだろう。困難を、絶望の壁と見るか、成長への糧と見るか。一念の変革で、未来は大きく変わる。(由)

生命(いのち)の庭のわが娘よ 永遠(とわ)に光れ

2014年2月27日(木)更新:3
【学園抄 創立者とともに 第16回 幸福(さち)の乙女】
 先月30日の関西創価中学・高校。放課後の講堂で、ある集いが行われた。
 全て女子。高校3年生が皆に呼び掛けた。
 「学園の制服を着て、授業を受け、クラブができる感謝をもって、頑張っていきましょう!」
 今月3日、東京・創価学園でも高校の女子集会。3年生が自身の来し方を語った。母子家庭で育つも最愛の母を亡くす。悲しみを越えて学園に入った。
 「母と、育ててくれた2人のおばに“親孝行”していきます!」
 6日の同中学の集いでは各学年の代表が「世界で活躍する医師になりたい」等と決意を発表した。
 そして三つの集会とも同じ歌を合唱。清らかな旋律のその曲は、女子学園生歌「幸福(さち)の乙女」である。
 2006年2月3日に創立者・池田名誉会長夫妻から贈られ、誓いを込めて歌ってきた。毎年、この日を中心に記念集会を開く。
 「『幸福の乙女』とは、自分だけ幸福になるのではない。父も母も、友だちも、社会も、世界も、そして未来までも、すべてを幸福へとリードしていける女性の異名です」と創立者
 「私も妻も大好きな歌です」
 大阪・交野に創価女子中学・高校(当時)が開校して以来、東西の女子学園生を見守る創立者夫妻。その真心が歌に詰まっている。

〈「心」で弾く〉
♪桜花舞いゆく 学び舎の
 希望は高き 乙女らよ
 深き使命は 果てしなく
 知性の翼で 飛びゆけや

 桜が咲き誇る1973年(昭和48年)4月11日、女子学園の第1回入学式。
 胸が高鳴る1期生。創立者は「伝統」「平和」「躾(しつけ)」「教養」「青春」の5項目の指針を示した。「平和」では、こう述べる。
 「『他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない』という信条を培っていただきたい」
 同年9月14日の第1回希望祭で、凛々しく立つ雪国の少女の像を除幕。「希望の乙女」と命名した。前夜、「負けない乙女」から変更したのだった。
 「希望」とは負けない力――創立者は、朗らかで強い心をと願う。
 「芯のある女性に!」
 「姿は女王、心は勇姿になりなさい」
 11月14日。偶然、校内の卓球場近くにいたある生徒が、中へ誘導された。創立者が到着し、卓球大会が始まった。
 床に座って観戦していたその生徒。創立者に目を向けると、手招きされた。
 えっ、私? 慌てて立ち上がり、転んでしまう。
 「座ってから立つ時は、ゆっくり立つんだよ」
 創立者が手を取る。生徒の目が潤んだ。
 生まれつき指に障がいがあった。小さいころから、明るく振る舞っていても心の奥で悩んだ。なんで私だけ……。生きていることさえ、つらいと感じた。
 そして学園へ。今、その指を大きな手が包み込む。
 「引け目を感じることはないんだよ。君は女王なんだ。気品をもって堂々と生きなさい」
 ぬくもりが胸に染みる。
 「もう泣いたらあかんよ」。そばには気持ちを分かってくれる仲間がいた。
   ◇   ◇   ◇
♪名月(つき)はさやかに
           微笑みて
 学びの青春 歴史あれ
 輝く世界は 洋々と
 ああ未来あり 幸福(さち)の園(その)

 「今年で一番の月だね」
 76年8月10日。鹿児島の霧島を訪問していた創立者は、帰省中の女子学園生と懇談した。日が落ちたばかりの空に十五夜の満月。
 「山から出てくる瞬間の月の輝きのような女性が一番、気品があるよ。『英知』『教養』『気品』だね」
 創立者夫人もほほ笑む。
 「学園では、山の裏側から月が見えてくるんだよ。皆、見てるかな」
 離れていても学園生を思う。7年後には、交野で生徒たちと月を愛(め)でた。
 折々に創立者は、自ら礼儀やマナーを教えた。
 野点(のだて)で茶の作法。和室でふすまの開け閉め。会食で「素晴らしい女性は『気が付く人』なんだよ」と、心遣いの大切さを伝えた。全てが学びの場である。
 「立派な人材に育てたい。一人の指導者を育てると多くの人が幸福になる」
    ◇   ◇   ◇
♪青空(そら)を見上げて
           歩みゆけ
 創価の絆で いつの日も
 生命(いのち)の庭の わが娘(とも)よ
 永遠(とわ)に光れや 誇らかに

 「生徒は私の生命(いのち)です。娘です」と語る創立者
 青空が包む庭園など、さまざまな場所で生徒と触れ合い、“父娘”“姉妹”の絆と思い出を築く。
 「きれいな心で、良い思い出をつくる人は“天女”となる。その人は、いざという時に強い」
 開校5年の記念昼食会に出席した78年1月24日。終了後、創立者は、愛唱歌の作曲を担当してきた高校3年生のピアノを聴いた。
 「天才だね!」
 美しい音色を喝采する。
 もう1人の生徒も呼んだ。同じく愛唱歌に携わる高校1年生。だが、緊張して普段通りに弾けない。
 「いいよ。先輩と交代しよう」とねぎらった。
 再び3年生がピアノへ。周りの生徒が合わせて歌ったり、3年生と創立者が片手ずつで“連弾”したり。即席の音楽会は、爽やかな笑顔であふれた。
 うまく演奏できなかった1年生を創立者が励ます。
 「ピアノは『心』で弾くんだよ」
 彼女は音楽大学に進み、やがて母となった。長男は4歳でピアノを始める。才能を伸ばし、音楽の世界で生きると決意。だが進学先に迷った。音楽科の高校か創価学園か。母は「心で弾く」との創立者の言葉と思い出を語った。
 「心」を磨ける学園に行こう! 長男は東京校に入り、音大を首席で卒業。国際大会で第1位に輝き、名ピアニストへの道を歩む。


〈父母がつなぐ絆〉
 1982年(昭和57年)、東京の男子校と関西の女子高が、中高とも男女共学に。創立者は念願した。
 「男子は、ヨーロッパでいわれるジェントルマン、もしくはナイトの精神で」
 「女性は、女性らしい本質で成長していただきたい」
 「ただ学問という点においては、すべて平等です」
 80年の7月22日から3日間、東京創価小学校4年生が夏季教室として神奈川・箱根方面を訪れた。
 あっ、先生! 待っていたのは創立者。昼食やスイカ割りを一緒に楽しんだ。
 その輪に入れない女子がいた。親と離れると、いつも体調を崩す。別の場所で寂しく過ごしていた。
 気に留めた創立者が、声を掛ける。
 「強くなれ、強くなれ」
 後に、児童は「絶対に強くなります」と創立者に手紙を書く。元気に集団生活ができるようになった。
 中学に共学2期で入学。激励に学問で応えたいと高校でも真剣に学び、大学は薬学部へ。東京高の女子で初の博士となった。
    ◇   ◇   ◇
 95年5月、関西校に通う高校3年生の次女、小学4年生の三女を苦難が襲った。
 交通事故で父親が亡くなり、母親は重体。父は海外赴任から帰国したばかり。やっと5人で暮らせると喜んでいた矢先だった。
 すぐに創立者が伝言。
 「3人がしっかり力を合わせ、団結して」
 翌日も「嘆いてはいけない。しっかり勉強して、偉い人になりなさい。先生が応援するから」。
 後日、長女に揮毫した。
 「晴美がんばれ! 三姉妹負けるな! 父も母も 先生は一生わすれない」
 だが母も息を引き取る。
 長女は卒業前、集会で真情を述べた。目の前が真っ暗になる現実。創立者の言葉で懸命に上を向いた。
 「父母が、命懸けでつないでくれた池田先生との絆をもち続け、恩に報いるために大成長したいです」
 事故5年後の2000年2月28日、関西校の卒業記念撮影が神戸で行われた。
 「お父さんがいない人は?」
 創立者の声に何人かの手が挙がる。夫人からの“お菓子のレイ”が渡された。
 そして「お母さんが亡くなった人は?」。
 2本のレイを首に掛けた生徒が立っていた。三姉妹の次女だった。創立者夫妻も仲間も拍手を送った。
 三姉妹とも、教員など使命の舞台に羽ばたいた。創立者は喜ぶ。
 「生命は、生死(しょうじ)を超えて結ばれております。亡きお父さんや、お母さんは、わが生命に生きている」
 「皆さん方が幸福になることが、父母の幸福であり、栄光なのです」
 三姉妹の母校・関西創価小学校に、創立者の配慮で父母を記念する桜が植えられた。品種は、八重咲きの御衣黄(ぎょいこう)。花言葉の一つは「永遠」とされる。
   ◇   ◇   ◇
 先日の女子集会で、東西両校の高校3年生が同じ思いを話していた。
 「最高の『3・16』を迎えていきます!」
 3月はいよいよ卒業式。学園生活の最終章へ、悔いなき挑戦の日々を送る。

   (聖教新聞 2014-02-27)

古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ

2014年2月27日(木)更新:2
・『広宣流布の大潮流も、この師弟という生命の脈動から生まれるのである』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20191222


【新・人間革命 正義 四十八】
 戸田城聖の弟子である山本伸一も、広宣流布という創価学会の使命を、自身のこの世の使命を果たし抜くために、師弟の道を貫き通してきた。師の事業が暗礁に乗り上げ、戸田が学会の理事長も辞任せざるを得なかった時、伸一は誓いの歌を認めて師に贈った。
  
  古(いにしえ)の
    奇(く)しき縁(えにし)に
       仕へしを
   人は変れど
      われは変らじ
   
 伸一は、戸田に再び広宣流布の指揮を執ってもらうために、この歌の通り、病弱な体であることも顧みず、死にものぐるいで、戸田の事業再建へ苦闘を重ねた。まさに、「一念に億劫の辛労」を尽くす日々であった。
 やがて伸一の奮闘は実を結び、戸田は、遂に苦境を乗り越えて、晴れて会長就任の日を迎える。そして、生涯の願業として会員七十五万世帯の弘教を掲げ、それを見事に成就していくのである。
 思えば、誰人も想像さえしなかった、その後の広宣流布の世界的な大伸展も、すべて、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟の、死身弘法の戦いが、その源であり、原動力となってきた。そして、それに連なる伸一の、また、弟子たちの不惜身命の実践があってこそ、未曾有の一閻浮提広宣流布の時代を迎えることができたのだ。
 日蓮門下の最重要事は、広宣流布の大誓願の実現である。それを現実に推進してきたのが創価の師弟である。そのこと自体が、創価学会が仏意仏勅の団体であることの、まぎれもない証明といえよう。
 学会の発展があってこそ、宗門を外護することができ、宗門も興隆してきた。これは、厳然たる事実であり、そこに広宣流布の確かな軌道があったのである。伸一は、この事実についても、僧侶たちと、根気強く徹底的に話し合わねばならないと思っていた。

   (聖教新聞 2014-02-27)

Creativity

2014年2月27日(木)更新:1
●You must be the change you wish to see in the world. Mahatma Gandhi

●Originally, every person's life is a brilliantly shining mirror. Differences arise depending on whether one polishes this mirror: A polished mirror is the Buddha's life, whereas a tarnished mirror is that of a common mortal. Chanting Nam-myoho-renge-kyo is what polishes our lives. Daisaku Ikeda

●A truly beautiful person is one who is good at discovering beauty. Daisaku Ikeda

●When one takes full responsibility, one’s true greatness will manifest. That is when one’s true strength wells forth. Daisaku Ikeda

読書 他

2014年2月26日(水)更新:4
【鼓笛隊 創価グランエスペランサ 全国大会で特別賞】
●学業や仕事、学会活動に挑戦し抜く中、練習に励んできた鼓笛隊のメンバー。舞台では、その努力が花咲いた
●「とても幻想的な素敵な世界観の演技でした」等の講評が寄せられた。
 田中理沙団長は「全員が最高の力を発揮することができました。これからも演技を通して、人々の心に希望を送っていきます」と決意を語った。

   (聖教新聞 2014-02-26、以下同)


池田大作SGI会長の国連提言選集「平和のためのフォーラム」】
●ニューヨークの国連本部ビル。国連本部内の会議室で、今回のシンポジウムは開催された
●「きょう、国連本部において、この本が正式に出版されたことを宣言します」――チョウドリ元国連事務次長、国連「文明の同盟」のアルナセル上級代表、ノーベル平和賞受賞者のウィリアムズ博士がSGI会長の国連提言選集を手に、記念のカメラに(20日、国連本部内で)
●国連「文明の同盟」の協力を得て、SGI、国際通信社IPS、戸田記念国際平和研究所が共催したSGI会長の国連提言選集の出版を記念するシンポジウム(同)
●「国連とは何か。あるいは、それが意味するものは何かについて考えるとき、今回出版された池田SGI会長の書籍は、大きな貢献を果たすと思います」
 記念シンポジウムの冒頭、チョウドリ博士は、こう語った。
 会場は、国連本部内の会議室。場内の席は各国政府代表部、国連関係者やNGO(非政府組織)関係者ら約80人で埋め尽くされた。
 活気のある雰囲気が場内を包む中、シンポジウムはスタート。皆がチョウドリ博士の話に真剣に耳を傾けた。
 ――今日、多くの人々が国連を支持してくれている。その基礎づくりに貢献されてきたのが池田会長である。
 博士はこう力説するとともに、SGI会長が「人類の議会」と呼び、重要視している国連の意義を、国連に関わる一人一人が忘れてはならないと訴えた。
 続いて、アルナセル上級代表が今回の発刊に祝意を述べた後、SGI会長が30年以上にわたり、平和、核兵器廃絶などを論じてきたことに言及。核兵器の使用や脅威が国際法の原則に反することに触れ、「核軍縮は、国際社会にとって最も高いプライオリティー(優先事項)の一つと信じます」と力を込めた。
 ベセル官房長は、ジョン・アッシュ国連総会議長のメッセージを紹介した。その中で、議長は軍縮、持続可能な開発といった世界的な課題に取り組む際、SGI会長の提唱する「世界市民教育」が重要であることを強調。「池田会長の提言は、こうした課題が相互に関連している以上、それらへの取り組みも複合的になることに気付かせてくれました」と語った。
●SGIは、SGI会長のリーダーシップのもと、「持続可能な開発のための教育の10年」「人権教育のための世界プログラム」など、国連による国際的な教育の取り組みを積極的に支援してきた。そうした活動が高く評価される中、国連「文明の同盟」の協力を得て、SGI、国際通信社IPS(インタープレスサービス)、戸田記念国際平和研究所が共催し、今回のシンポジウムが国連本部内で開催されたのである。
 戸田研究所のオリビエ・ウルバン所長が本書の内容と意義を紹介した後、ウィリアムズ博士がスピーチ。さまざまな問題の解決に向け、国連の役割に期待を寄せつつ、「これまで国連がなかったならば、私たちは何をなし得たでしょう。どれほど世界の情勢は悪化したでしょう」と問い掛けた。
 また、博士は平和に果たす女性の役割にも触れながら、「池田会長は女性の役割を深く理解し、女性を本当に尊重してこられました」と、SGI会長の女性観をたたえた。
 ここで、チョウドリ博士の呼び掛けで、ウィリアムズ博士とアルナセル上級代表が議長席へ。3人が本書を手にし、今回の出版を高らかに宣言した。
 シンポジウムではさらに、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジのウィリアム・ゴウデリ准教授が登壇。地球上には生活水準が低いために世界市民教育を受けられない人々も多いと指摘し、“そうしたグローバルな課題を解決しゆくために国連というフォーラムが大切”と語るSGI会長に賛意を示した。
 ルネサンス・チャーター・スクール(ニューヨーク)のモンテ・ジョフィー初代校長は、自身が実践した世界市民教育を紹介した。
 約1時間半、充実した議論が重ねられたシンポジウム。終了後も参加者は活発に意見を交わし合っていた。


【名字の言】
●北海道の広大な十勝平野が活動の舞台である十勝県男子部の有志は、自家用車に大きな砂袋を常備している▼友の激励に向かう道中など、時々、車を止めては砂袋を持って外へ出る。「ここは危険だ」と、凍結路面状態の交差点や歩道に、手際よく砂をまく▼凍結路面では、車の衝突や歩行者の転倒が後を絶たない。だが、彼らの行くところ、危険な路面が次々と安全な状態に。こうした活動を始めて10年。彼らが語っていた。「2、3分でできるボランティアです。たいしたことではありません」


【読書】
《『滅亡へのカウントダウン(上下)』アラン・ワイズマン著 鬼澤忍訳》
〈過剰な人口増加 人類存続の道は?〉
●1972年に発表されたリポート『成長の限界』は、“人口増加や環境汚染がこのまま進めば、100年以内に成長は限界に達する”と結論づけ、世に衝撃を与えた。本書はそれから40年余を経て生まれた“21世紀版『成長の限界』”ともいうべきものだ。
 ただし、データだけを羅列した無味乾燥な内容ではない。著者は、人口学者・生態学者・経済学者・宗教指導者などの専門家と、各国の庶民たちをそれぞれ精力的に取材している。多彩な人々の肉声が随所に刻みつけられ、データを裏打ちしていく。そこから生まれる臨場感と人間ドラマが、本書を読み応えあるノンフィクションにしているのだ。
 宗教などが複雑に絡んで抑制困難な人口爆発、水不足、土壌の汚染・劣化、逼迫(ひっぱく)する食糧事情、気候変動、生物多様性の喪失……綿密な調査で浮き彫りにされる各国の現状に慄然(りつぜん)とさせられる。


《『コンピュータって』ポール・E・セルージ著 山形浩生訳》
〈歴史を概説・俯瞰 4つの大きな流れ〉
●一つは「デジタル・パラダイム」といわれるもの。二進法による情報の符号化で生じた現象だ。デジタル時代の起源はいつかという話になるが、パンチカードを使っていた20世紀初頭まで遡る。
 次に、それぞれ独自に発展してきた技術が「収斂(しゅうれん)」される。最新例ではスマートフォンが典型。電話、テレビ、カメラ、コンピュータなど多くの技術が融合している。
 3番目が半導体エレクトロニクスの普及。コンピュータの性能が倍々ゲームで拡大することを特徴とする。
 最後に、人間とコンピュータの関係性のあり方という哲学的な要素を含む流れだ。
 現在、これだけ普及しているパーソナル・コンピュータだが、当初は技術者にとっては商業・軍人用が念頭で、個人向けのコンピュータはまったく想定されていなかった話なども出てくる。

大いなる問いこそが大いなる人生を創る

2014年2月26日(水)更新:3
【響き合う魂 SGI会長の対話録 第27回 フランスの作家 アンドレ・マルロー氏】
 「私が日本を訪れるのは、これで4度目ですが、今回、いちばんお会いしたいと思っていたのが、池田会長でした」
 フランスの作家アンドレ・マルロー氏が、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長を聖教新聞本社に訪ねたのは、1974年5月18日。「モナ・リザ」展のフランス政府特派大使として、来日していた。
 「さっそくですが、まず私からおうかがいしたいのは、創価学会の活動とは、どのようなものか、ということです」
 単刀直入。余事(よじ)を交えず、“直球勝負”で、事の本質を見極めようとする。あの鋭い眼光で――。
 これまで多くの日本の要人と会ってきたが、「儀礼的なふれあいばかりで、率直さが皆無でした」と、遠慮がない。「池田会長は日本人としてはひじょうにまっすぐにものを言う方と思っております。私自身もそうした人間です」
 SGI会長が答えた。「結論していえば、仏法を生活のうえ、現実の社会のうえに脈動させ、平和と文化の価値創造のために、反映させていくということを目的にした活動といえるかと思います」
       ◇
 「これは二人の大実践者の対話である」と、フランス文学者の桑原武夫氏は、対談を評した。
 SGI会長が「実践者」であることは自明として、マルロー氏もまた、行動に次ぐ行動の中で、人間の生き方を問い、作品にして発表し続けてきた。
 「20の人生を生きた男」といわれた。1901年、20世紀とともに生まれ、「辻馬車から宇宙船まで、たった一世代のうちに変化をとげるのをみてきた」。
 インドシナの密林で遺跡を探査し、中国革命の動乱の目撃者となり、スペイン内戦では国際義勇軍の飛行隊長として出撃。第2次世界大戦では、「ベルジェ大佐」の偽名で、ナチスへのレジスタンス(抵抗運動)を戦った。
 戦後は、ドゴール政権の文化大臣として世界を駆け、アメリカのケネディ、インドのネルー、中国の毛沢東らと会ってきた。
 4度の来日を通じて、氏の、日本の美と精神への造詣は深かった。「心酔」と言ってもいいかもしれない。
 「私は、日本こそ新しい人間形成の典型像をつくりうる最後の国であるという信念を持っている」
 そうした氏が、SGI会長に深い関心を抱いたのも必然といえる。日本最大の民衆組織を率い、人間主義の思想を社会に広げ、「現実の力」を有するに至った仏教指導者。
 その思想とは? その運動の方向とは? 世界の行く末にまで影響を与え得る存在なのか?
 率直な対話は、核問題、国連の役割をはじめ、意見を異にする部分も多かったが、自分より26歳も若いSGI会長に対する氏の期待は終始、変わらなかった。
 トインビー博士の思い出を語るSGI会長に「(博士は)歴史家という意味では過去に関心がある人です。それとは違って池田会長の場合は、未来に働きかけておられる」と。
 SGI会長が教育の重要性を訴えると、こう返した。「創価学会のような人間形成の運動にほんとうに力が加われば、そして日本人の形成を決意するならば、これは人類にとって一個の亀艦(きかん)となりえましょう」
 そして、「もし池田先生がパリにいらっしゃるとき、私もパリにいるようでしたら、またいろいろとお話をしたい」と再会を望んだのである。
       ◇
 その機会は、早くも1年後に訪れた。75年5月19日。今度はSGI会長が、パリの南郊、ヴィリエールにある氏の自宅を訪ねた。
 対談の主題の一つは、人は「歴史的責任」をどう引き受けるか、ということであった。
 「現代は決断不在の時代」であり、歴史への責任を自覚した政治などなくなってしまった。50年後には、政治家という存在は死に耐えるだろう――と氏は手厳しい。
 時に、未来への深い懐疑を垣間見せる氏に対し、SGI会長は希望を手放さなかった。民衆愛、平和への情熱、そして精神革命の可能性を、ほとばしるように語る。
 氏も、それを認めた。
 「かつてヨーロッパにキリスト教がもたらした精神革命といったものが、ふたたび仏教によってもたらされないという保証はどこにもない、ということです」
 そして氏のほうからは、こう尋ねるのである。
 「現時点では、もっとも重要なものは人間ということになりましょう。あなたの眼には、人間にとってなにがもっとも重要なものと映りますか」
 まさに根源的な問いであった。
 SGI会長は答えた。
 「人間そのものの生き方、その主体である人間自身の変革がどうすれば可能かということでしょう」「人間の尊貴さは、その無限の可能性にあると信じ、そこにいっさいをかけ、それを規範として行動していきたいと思います」
 氏の眼が光った。
 「期待しています」
 ――この2度の語らいは翌76年8月、対談集『人間革命と人間の条件』に結実した。氏の訃報が世界を駆け巡ったのは、その3カ月後のことであった。
 マドレーヌ夫人からはその後、氏の手稿(しゅこう)や画集など、貴重な遺品が折に触れて届けられた。「日本人で、マルローと対談した方は本当に限られた方だけでした。池田会長は、マルローの尊い友人なのです」と。
 マルロー氏の遺産は、氏の残した「答え」よりも、「問い」を発し続けたという事実の中にある。
 SGI会長は、対談を振り返り、つづった。「今、社会の蘇生に必要なのは、安易な既成の解答ではない。全生命をかけた『大いなる問い』であり、『大いなる問い』を生き抜く求道の真摯さではないだろうか」
 その挑戦は、21世紀への責任を持つ青年へと引き継がれていく。

   (聖教新聞 2014-02-26)

広宣流布の大潮流も、この師弟という生命の脈動から生まれるのである

2014年2月26日(水)更新:2
・『広宣流布の師弟の道を歩むことに、大きな誇りをいだいていた』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20191218


【新・人間革命 正義 四十七】
 「母親の愛は優しく、穏やかで、温かみがあり、寛容でありますが、また同時に最も厳正であり、強烈であり、防護であり、正義感に富んでいるのです」(注1)――これは、二十世紀の中国を代表する女性作家・謝冰心(しゃひょうしん)が母について記した言葉である。
 それは、創価の婦人部の特質でもあった。
 三重の婦人たちは、実感していた。
 「どうして、師匠を敬愛する心を隠さなければならないのか! どこかおかしい」
 結局、婦人たちの主張が実り、「今日も元気で」は、三重県文化合唱祭で歌われることになったのである。
 山本伸一は、力強い声で言った。
 「婦人部の合唱を楽しみにしています」
 県婦人部長の平畑康江の顔に、瞬く間に笑みが広がった。その目は涙に潤んでいた。
 彼女は、すぐに総合リハーサルを行っている会場に電話を入れた。婦人部の出演者に、いっときも早く伝えたかったのである。
 リハーサル会場で、「今日も元気で」を合唱できるようになったことが発表されると、大歓声と大拍手が響き渡った。ハンカチで涙を拭う婦人もいた。
 学会の根幹を成すのは、崇高な師弟の精神である。それは、いかに批判されようが、時代がどんなに変わろうが、絶対に変わってはならない「創価の魂」である。広宣流布の大潮流も、この師弟という生命の脈動から生まれるのである。
 戸田城聖は、青年時代から牧口常三郎を師と仰ぎ、いっさいを守り支えてきた。それゆえに、軍部政府の弾圧で、共に逮捕・投獄された。そして、自分だけでなく、一家もまた、近隣から「国賊の家」と罵られた。
 その戸田は、牧口の三回忌法要の席で、感慨を込めて、こう語っている。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」(注2)
 これが、広宣流布という大使命に生きる「師弟の絆」である。そこには、大難をも大歓喜へと変えゆく、高貴なる「魂の力」がある。

■引用文献
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注1 「給日本的女性」(『冰心全集3』所収)海峡文芸出版社(中国語)
 注2 「牧口先生三回忌に」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社

   (聖教新聞 2014-02-26)