地平線を越えて 1997年 インド・自然と共に生きる海女たち 他

2014年1月10日(金)更新:6
【地平線を越えて SGI会長との心の絆 1997年 インド(上)】
《わが行動で希望の未来を開け》
●「日本トップの知性がデリーに」(ザ・アジアン・エージ紙)
 「池田博士は、輝くばかりの新たな希望の言葉をもたらした」(ザ・パイオニア紙)
 1997年10月。インドの主要全国紙は、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の同国訪問の様子を連日、大きく伝えた。
 5年ぶりとなる97年の訪印は、インドの指導者層にも大きな衝撃を与えるものであった。
●「池田先生は、その前(92年)の訪印では、多くの時間を使ってメンバーとの質問会や懇談会を行い、信心の激励をされました。
 一方、97年は、ナラヤナン大統領、グジュラール首相との会見、ラジブ・ガンジー現代問題研究所の招聘による講演や『日印友好文化祭』への出席など、体外的な行事が中心でした。
 先生は、ご自身の言葉や振る舞いを通し、各界の要人に、学会の理念や哲学を伝えていかれたのです。
 そして、その間隙(かんげき)を縫うようにして、私たちBSG(インド創価学会)のメンバーを励ましてくださいました」
      ☆
●「インドの第一級の識者が池田先生の振る舞いを目にすれば、創価の哲学は必ず理解されると思っていました」
●入会してSGI会長の存在を知ったダスさんは、驚きを隠せなかった。
 「伝統的な階級制度が残るインドでは、高い立場の人が、行事を支える役員など、裏方の人々に心から感謝をしたり、激励を送ったりするということは、まずありません。
 しかし先生は、こうした励ましを、極めて自然に、そして誠心誠意行っている。――私は、深い感銘と衝撃を受けました。先生の振る舞いを通して、その人柄と信心の偉大さを深く理解することができたのです」
●「これからインドは、どこへ進めばいいのだろう――当時の要人の多くが、こうした疑問を持っていました。著名な哲学者である先生が、インドに対して、何を指し示してくれるのか。そこに人々の大きな関心があったと思います」
●SGI会長は講演で力説した。
 「今、未来は、あまりにも混沌としております。しかし、一つの巨視眼から見れば、21世紀はアメリカ、中国、インドの3国が主軸となる可能性が高いと、私は思っている一人であります」
 「再びの絢爛たる『インド・ルネサンス』を私は期待してやみません。人類が、それを願っております。しかも、貴国のもつ『非暴力のメッセージ』は、今後の人類にとって、決定的な意味をもっていると私は信じております」


〈皆が勝利者に〉
●歴史の街であるアグラは、保守的な土地柄。そのなかで仏法を弘めるのは容易ではなかった。
 それでも彼女は、多くの人に信心を語り、希望と幸福の種を蒔き続けてきた。
 「夫の未来を開き、息子を救った信心に間違いはない。そう確信していましたから、堂々と仏法対話を続けていきました」
 代表者会議には、グジュラール首相との会見を終えたばかりのSGI会長が駆けつけた。
 わずかな時間だったが、愛する同志のためにと、渾身の励ましを送った。
 「信心は一生です。水の流れるように、たゆまず、仲良く前進してください。生活のうえでも、全員が勝利してください。それが私の願いです。お体を大切に。職場を大切に。家庭を大切に」
 そして、参加者との別れを惜しみながら、「わが家族、わが兄弟姉妹の皆様に、『わが永遠なる同志よ、いつまでも健康で、栄光あれ!』」と呼び掛けた。
 ラールさんは言う。
 「池田先生がドアから入って来られた瞬間、会場が何ともいえない温かな気持ちに包まれたんです。SGIは、皆が先生と家族なんだ――そう思った時の安心感と喜びは忘れられません」
●「アグラのメンバーは、本当に仲がいいんです。何でも相談できて、皆で励まし合っています。一人では負けそうでも、同志がいると思うと、力が湧いてきます。このことを教えてくれたのが、池田先生です。
 先生の温かな心が、アグラを発展させ、未来を開いてくれたと思うのです」


【新・生き生き川柳】
●今年こそ 弱い自分を 変える時


【文化 自然と共に生きる海女たち 石原義剛】
《数千年、素潜り漁を守る ユネスコ無形文化遺産への動きも》
●地球表面の70%が海だというのに、その海で暮らしを立てている民が数億人もいるというのに、「海女(あま)」と呼ばれる素潜(すもぐ)りで魚介藻漁を営む女性は、日本と韓国を中心にわずか1万人しかいない。
●しかし、その海女は、長い歴史を有し、素晴らしい文化を育んでいる。
 この海女たちは3000年あるいは5000年の間、今日では原始的だといわれる「素潜り漁」を続けてきている。
●夏場でも水温25度くらいの海中で1時間も潜水作業を繰り返していれば、身体は凍えきってしまう。ましてや水温が下がれば、寒さで作業時間は少なくなる。それでも女性は男性より相当に低水温に耐えられる。皮下脂肪を多くもつ体質のせいか、辛抱強い性格のせいか、素潜り漁には女性のほうが適応性があるようだ。
●なによりも海女のすごさは、女性でありながら、素潜り技術をもって、数千年もの間生業(せいぎょう)として続けている事実である。
 数千年の継続を可能にしてきたのは、資源の枯渇を防ぐため、数々の約束事を守り通してきた意志の強さ、持続性である。
 そして海女は漁村社会の母として、要として、共同体を守り続けてきたのである。さらに今、海女に新しい役目が加わった。海なる自然環境維持の担い手という役目である。
●今、海女のいる日本と韓国済州道(道=日本の県)で連携して、海女をユネスコ世界無形文化遺産に登録しようという活動が動きだした。海女文化を守り、継承することの大切さが理解されだした。