「私は、広宣流布のために、この身を捨てます!」

2014年1月17日(金)更新:2
・『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190708


【新・人間革命 正義 十三】
 軍部政府によって会長の牧口常三郎らが逮捕されるや、周章(しゅうしょう)狼狽した宗門は、牧口一門の総本山への登山を禁ずるなど、学会との関わりを断とうとしたのだ。
 日蓮大聖人の仏法の清流は、正法正義(しょうほうしょうぎ)を貫いた牧口と戸田城聖の、創価の師弟によって死守されたのである。
 師の牧口は、獄中にあって殉教したが、理事長であった弟子の戸田は、牧口の広宣流布への遺志を受け継ぎ、一九四五年(昭和二十年)七月三日、生きて獄門を出た。敗戦を間近にした焼け野原に一人立った。
 出獄後、戸田は、直ちに学会の再建に着手した。会の名称も「創価教育学会」から、「創価学会」と改めた。教育者を中心に教育改革をめざす団体ではなく、広く民衆を組織した広宣流布の団体であることを、鮮明に打ち出したのである。
 そして、出獄から六年後の五一年(同二十六年)五月三日、第二代会長に就任する。
 その時、彼は、こう訴えた。
 「私の自覚にまかせて言うならば、私は、広宣流布のために、この身を捨てます!
 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします。願わくは、それまでに宗門におかせられても、七十五万だけやっていただきたいものである」
 また、もし七十五万世帯が達成できなかったら、“遺骸は品川沖に捨てよ”とまで語ったのである。
 「七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします」との言葉には、地涌の菩薩の使命を自覚し、広宣流布に一人立った戸田の、烈々たる気迫がこもっている。広宣流布の大願は、一人立つ勇者によって成し遂げられるのだ。そして、その師子に続いて、また一人が立ち、二人、三人……と立ち上がる、一人立つ者の総和が、大願を現実化していくのだ。
 自らが立たず、数を頼んでも、それは烏合の衆であり、臆病な羊の群れである。そこには「法華弘通」という大願の成就はない。自らが師子と立つ――それが創価の大道だ。
   (聖教新聞 2014-01-17)