阪神淡路大震災から19年 復興住宅の人々の歩み・本幹から 他

2014年1月17日(金)更新:3
【きょう 阪神ルネサンスの日 大震災から19年】
《兵庫、大阪で追善勤行会、神戸で青年復興主張大会》
●きょう17日は「阪神ルネサンスの日」。
 19年前の1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。6000人を超える死者・行方不明者、4万人以上の負傷者が出た。
 「阪神ルネサンスの日」は、震災から9カ月後、池田名誉会長が出席して行われた「希望総会」の席上、決定したもの。復興を誓った原点の日である。
 きょう、神戸市の兵庫文化会館(中央区)と長田文化会館(長田区)、西宮市の西宮平和講堂、大阪市の関西文化会館(天王寺区)で追善勤行会が厳粛に営まれる。
 さらに、「東北・関西の“希望の絆”」をテーマに掲げ、神戸市で青年復興主張大会を開催する。ここでは、阪神・淡路大震災から復興に立ち上がった関西の青年による体験発表と、まもなく発生から3年を迎える東日本大震災で被災した青年の代表が主張を行う。
   (聖教新聞 2014-01-17、以下同)


【グラフSGI 2月号が完成】
●今号は、アジアの中でも発展が著しい「タイ」を特集。池田SGI会長の6度目の訪問から20周年を迎え、喜びあふれる友の姿を追った。
 3月号の特集は、若い力がみなぎる「インド」。インド創価学会の4割は青年部が占める。文化・教育・経済で世界をリードするインド社会――その中核として活躍するメンバーを紹介する。


阪神・淡路大震災から19年 神戸東部新都心の復興住宅の人々の歩み】
〈「みんなで幸せに」と共に生き抜いた〉
●「いくら建物が立派でも、それだけでは何も進みませんからね。そこにいる人たちが努力し、楽しい暮らしをつくっていかないと」
●ひとたび集会所に人が集まれば、自然とおしゃべりが始まり、笑顔の輪がふくらんでいく。「今はこうして笑えてますけど、皆さん、言いしれぬ苦労を乗り越えてこられましたからね」
     ◇◆◇
《涙の絆は、笑顔の絆に》
●大したことはできないが、自分から声を掛けるようにした。返事のない人もいた。それでも続けていると、やがて小さな会釈が返ってくる。そのうち笑顔までも付いてくるようになった。
 少しずつ関係が深まると、心の内を吐露してくれるようにもなった。家族を失った悲痛な訴えには、うなずくことしかできない。住宅では、自ら命を絶つ悲しい出来事も起こっていた。
 「絶対に独りにさせたらあかん」。顔を見せ、何気ない会話を交わす。何度も何度も会いに行く。負けないでほしい。生き抜いてほしい。その一心で友の未来を祈り、寄り添い続けてきた。
 「みんな、苦しんだんやから、みんなで幸せにならなあかん」
●委員のメンバーは個性も強く、意見の衝突で苦労することもあるが、催しに集まった人たちの笑顔が、全て吹き飛ばしてくれる。
 「みんなの喜ぶ姿が私の生きる希望。そやから今日まで歩み続けてこれたんです」
     ◇◆◇
●「助けて!」と、枯れるほど叫んだ植村貴美子さん(地区副婦人部長)の声は、がれきに塞がれ“外”に届くことはなかった。
 そのとき「死を覚悟した」という植村さん。奇跡的に、がれきの中から救出されたのは、地震発生から約60時間後のことだった。
 しかし、震災を境に生活は一変した。がれきに圧迫されていた右脚に障がいを残すことになったのだ。走ることはできず、四六時中、しびれや痛みがともなった。
 職場復帰は断念せざるを得なかった。母として台所に立つことすら、痛みとの闘い。現実と向き合うことで精いっぱいの日々が続いた。
 不自由のなかった、震災前に戻れればと思うこともあった。しかし、くよくよしている自分が嫌いだった。祈りに祈り、心に決めた。
 一度は死を覚悟した命。「できへんことを嘆くより、人のために、自分らしく、この命を使っていこう」と。
●一歩一歩、焦らず、自分らしく生き抜いた19年――。
 「震災に負けへんかった。今そう言えることが私なりの復興なんやと思います」

〈笑える日まで〉
●初めはぎこちなかった付き合いも、苦楽を共にするうちに、何でも本音で打ち明け、支え合う関係になった。
●友が心の底から笑える日まで、共に生きていく覚悟を自ら決めた。
●5年、10年と時が過ぎる。変わらぬ関係どころか、折あるごとに旅行に出掛けたり、「今ではなんだか姉妹のよう(笑い)」。最近では、少し連絡の間があけば、「あんた心配しとったんやで」と逆に電話がかかってくる。
 「一生の付き合いしよな」と、仮設住宅を出て十数年。悲しみから生まれた絆は今、笑顔の絆と輝いている。
     ◇◆◇
●「風化は自然な流れ。仕方ない面もある。でも忘れたらあかんことがある」
●無数の涙が流れ、誰もが苦悩に沈んだ。それでも負けなかった。戦い抜いた。苦しみもがいて立ち上がった。
 「神戸に、この人間の強さがあったことだけは、忘れんとってほしいんや」
 明日の訪れすら疑わしかった悪夢の朝から19年。「もう大丈夫」と言う人がいれば、「悲しみは消えない」と言う人もいる。一人一人、復興にかかる速度も違えば、その形もそれぞれ異なる。
 それでも、今日まで生き抜いてきた。この事実が偉大な復興の証しである。
 そんな神戸の人たちが何度も何度も、口にしていたのが「東北」という言葉。
 「どれだけ冬が長くて、厳しかっても、必ずそれ以上の春がやってくる」
 神戸から託された、この心を東北に届けたい。


【世界広布新時代 第3回本部幹部会から 要旨】
創価班 ブラジル バイア総合方面 ルカス・ビテンクール書記長 困難に打ち勝ち同志を守る喜び》
●任務までの道のりが困難であればあるほど、全同志の無事故を祈る真剣さにつながる。そして師匠が最も大切とされる同志を守り、同志と共に、わが使命を果たすこと――創価班として、これ以上の喜びはないと実感しました。
●広大な地域での学会活動と合わせ、全てをやり抜くのは常に自分への挑戦ですが、創価班で学んだ「責任ある行動」「時間厳守」の訓練によって、職場でも信頼を勝ち得ることができ、今では新規事業の責任者を任されるまでになりました。
●「創価使命山 繁栄自身城」


《牙城会 韓国 姜輝秀 副委員長 “信念・努力・忍耐”を支えに奮闘》
●先生が会長辞任後の最も困難な時に贈ってくださった“信念・努力・忍耐”の指針の通り、私も自身の試練を乗り越えようと決意。祈り切って再び就寝活動に挑戦し、今度は希望通り、日本に本社のある世界的な電子機器メーカーに再就職を果たすことができたのです(拍手)。
●牙城会で学んだ通り、題目を根本に、どんな困難にも迅速かつ正確に対処していったおかげで、社内での私の評価は高まっていきました。
●「先生に代わって」――これが韓国牙城会の何よりの誇りです。


《白蓮グループ タイ オーンワディー・タッサナプラティープ副委員長 輝く笑顔と勇気の心で友情広げ》
日蓮大聖人の仏法を語る際は、教義の深い部分にまで話が及びます。その上で、教義に理解が得られても、家族や地域と密接なつながりのある信仰から離れ、一人を入会へと導くのは容易なことではありません。
 それでも“語り抜かなければ、状況は変えられない”
●白蓮グループで先生の指導を学び合い、“絶対に勝つ”と一念を定め、皆で団結して対話に取り組み続けました。
●青年部の限界突破の戦いが波動を広げ、昨年はタイ創価学会として一昨年を大きく上回る3500世帯に御本尊流布をすることができたのです(拍手)。