(2)多発する災害と異常気象 復興への協力強化が急務

2014年1月27日(月)更新:6
・『(1)「教育・青年」を共通目標の柱に掲げ 人間の尊厳輝く世紀を』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190821


〈「レジリエンス」を地域全体で高める〉
 次に提案の第二の柱として、災害や異常気象による被害を最小限に抑えるための国際協力について述べておきたい。

 世界気象機関が昨年に発表した報告書によると、21世紀の最初の10年間(2001年〜2010年)は、ハリケーン・カトリーナやパキスタンでの洪水、アマゾン川流域の干ばつなど、異常気象が各地で発生した結果、犠牲者は37万人にのぼったといいます。

 異常気象が多発する状況は2010年以降も続いており、昨年だけでも、台風30号がフィリピンやベトナムに深刻な被害をもたらしたのをはじめ、ヨーロッパ中部やインドなどが豪雨による洪水に見舞われ、北半球の多くの地域が記録的な熱波に襲われました。

 また、こうした直接的な被害以外にも、気候変動は人々の生活を支える農業、漁業、林業などに深刻な影響を及ぼし、世界全体の経済的損失額は年間2000億ドルにも達しています。

 そのため、地球温暖化の防止に関する国連気候変動枠組条約の締約国会議でも、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量削減とは別に、損失や被害への対応が議題にのぼるようになり、昨年11月に行われた第19回締約国会議では、気候変動に伴う損失と被害に関する「ワルシャワ国際メカニズム」の設立が合意されました。

 しかしこの制度も、途上国への資金援助の提供を先進国に要請するだけで、拘束力はなく、メカニズムの見直しの機会も2016年まで持ち越されるなど、気候変動の悪影響に苦しむ人々の状況の改善にはつながらない恐れがあります。

 国連大学の環境・人間の安全保障研究所は、「現行レベルの適応策や緩和策では、さまざまな気候ストレスからの負の影響を回避するには十分ではない」(国連大学のホームページ)と警鐘を鳴らしていますが、何らかの新しいアプローチを見いだし、早急に対策を講じる必要がありましょう。

 そこで提案したいのは、国連気候変動枠組条約によるグローバルな規模での対応策と並行する形で、アジアやアフリカをはじめとする各地域で、災害や異常気象による被害を軽減し、復興を成し遂げるための「レジリエンス」の力を強化する協力体制を整備していくことです。

 災害や異常気象への対応は、「事前の備え」「被災時の救援」「復旧・復興」の3本柱から成りますが、このうち被災時の救援は、各国から支援が寄せられる場合が少なくないものの、残りの二つの分野における国際協力に関しては、より一層の拡充が必要ではないかと思います。

 どれだけ緊急支援が寄せられても、その後、一国の力だけで復興を成し遂げ、災害への備えを強化するには、かなりの困難が伴うことが、各地の事例で浮かび上がっているだけに、教訓を共有しながら助け合う制度を設けることは、急務だと言えましょう。

 現在、紛争については、国連の平和構築委員会などを通じて、紛争予防、紛争解決、平和構築が一連のプロセスとして取り組まれるようになっています。

 災害や異常気象についても同様に、「事前の備え」や「被災時の救援」から、「復旧・復興」にいたるまでの一貫した協力体制を、近隣諸国の間で築いていくべきだと思うのです。


〈気候変動を脅威に感じる国々が増加〉
 なぜ、その対応にあたって近隣関係を基盤にすることが望ましいのか。

 被災直後の支援とは異なり、「事前の備え」と「復旧・復興」は息の長い協力が必要なだけに、近隣国の間で助け合うことは無理が少ないだけでなく、地理的に近い関係であればこそ、自国にいつ襲いかかるかもしれない異常気象に関する教訓や備えを共有する意味が重みを増すからです。 

 それだけでも大きな意義があると思いますが、こうした災害や異常気象に関する近隣諸国での協力が軌道に乗れば、それ以上の計り知れない価値を地域全体にもたらす可能性を秘めていると、私は考えます。

 それは、近隣諸国間における安全保障のあり方を転換させる可能性です。

 昨年3月、韓国のソウルでアジア太平洋地域気候安全保障会議が開催されましたが、そこで発表された報告書によると、少なくとも110カ国が気候変動の問題を"安全保障上の脅威"として受け止めるようになってきたといいます。

 これまで多くの国が気候変動を"環境問題の一つ"と捉え、経済成長と比べて低い優先順位に置いてきたものの、ここ数年の間に認識が変わり、“安全保障上の脅威”として対応を図ることが必要と考える国々が増加しているのです。

 特筆すべきは、こうした面での安全保障を高めることは、軍事力を強化する場合に生じる「安全保障のジレンマ」――ある国が軍備を増強すると、他の国が脅威と受け止めて対抗措置をとるといったように、軍拡がさらなる軍拡を呼び、かえって不安や緊張が増すという負の連鎖に拍車がかかる状況――を招く恐れがないという点です。

 その上、災害や異常気象はどの国にとっても、いつ降りかかるかわからない性質のもので、被災直後に多くの国が救援に駆けつけ、支援を厭わないように、まさに“被災した時はお互いさま”という、国と国との垣根を越えた「同苦」と「連帯」の地平を開くものに他なりません。

 このことは、3年前にクライストチャーチ地震東日本大震災に見舞われた、ニュージーランドと日本に住む、平和学者のクレメンツ博士と私が対談で語り合った点であり、博士はこう述べていました。

 「災害時に大規模な国際協力と支援の態勢がとられるのを目の当たりにして、非常に心強く思いました。それ自体、私たちの誰もが心の奥底で“文化や言語や国籍は違っても、ともに同じ人間である”と感じていることを物語っています。そのことが危機的状況でしか実感されない場合が多いのは残念という他なく、それだけに平時においても、災害時のような『相互扶助の精神』を保つことが大切だと思えてなりません」

 全く同感であり、そのためにレジリエンスの強化や復興支援の面で、近隣国同士が息の長い協力を積み重ねていく中で、「助け合いと支え合いの精神」を地域の共通文化として育むべきではないでしょうか。


〈地球公共財として情報の共有を図る〉
 実際、この分野で必要とされるような知識や情報、技術やノウハウは、従来の軍事的な安全保障で優先される情報保全とは違って、各国の間で共有してこそ、より大きな価値を発揮することができるものです。

 情報や技術を共有する国が増えれば増えるほど、各国で被害を最小限に食い止めるための道が開かれ、地域全体の災害リスク(安全保障上の脅威)の低減につながっていくからです。

 それはまさに、アメリカのジェファーソン第3代大統領が語った「私のろうそくの光を暗くせずに、彼のろうそくに火を灯すことができるように、彼は私のアイデアを減らさずに、それを受け取ることができる」との言葉を通し、経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ博士が概念の輪郭を描いた「地球公共財としての知識」に該当すると言えましょう(インゲ・カール/イザベル・グルンベルグ/マーク・A・スターン編『地球公共財』FASID国際開発研究センター訳、日本経済新聞社)。

 災害に関するレジリエンスは、頑強性(社会的機能が容易に損なわれない)、代理機能性(不測の事態に代替手段で対応できる)、機転性(再起のための社会的な体力と知恵を備える)、迅速性(深刻な影響が広がる前に復旧の道筋をつける)の4項目で構成されますが、いずれもジェファーソンの言う「彼は私のアイデアを減らさずに、それを受け取ることができる」性質のものなのです。

 私は、この地域間協力の先鞭を、災害による被害が最も深刻であるアジア地域がつけ、世界の他の地域にも「レジリエンス強化と復興支援の協力の輪」を広げる流れをつくりだすことを呼び掛けたい。

 その基盤は既に存在しています。ASEAN(東南アジア諸国連合)の国々に加えて、日本や中国、韓国や北朝鮮などが参加するARF(ASEAN地域フォーラム)=注5=が、安全保障に関する優先課題の一つとして「災害救援」を掲げ、協力のあり方を定期的に検討する枠組みができているからです。

 注目すべきは、ARFの活動の一環として、「災害救援」をテーマにした多国間の実動演習が、これまで3回実施され、文民主導・軍支援のコンセプトの下、医療部隊や防疫部隊、給水(浄水)部隊なども参加しての合同訓練が行われてきたことです。

 私は、この実動演習に、牧口初代会長が20世紀の初頭(1903年)に著した『人生地理学』で提唱していた、排他的な軍事的競争を人道的な方向へと転換させる可能性の萌芽をみる思いがしてなりません(以下、『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社を参照。引用は現代表記に改めた)。

 牧口会長は、帝国主義植民地主義が跋扈していた時代にあって、各国による競争の主軸が軍事的競争から政治的競争、さらには経済的競争へと変遷していくことを指摘しつつ、こうした“他の犠牲の上に自らの繁栄を追求する”競争からの脱却を果たし、国家の目的を「人道的競争」へと向け直していかなければならないと訴えました。

 そして、その挑戦を進める過程で、軍事や政治や経済面での競争の質的転換をも図ること――すなわち、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法」を選択し、「共同生活を意識的に行う」道を歩むよう、競争の重心を移すことを呼び掛けたのです。 (次頁へ続く)

   (聖教新聞 2014-01-27)