2014年 未来部活動大綱・土地の記憶をたどる 他

2013年12月13日(金)更新:5
【さあ! われらSOKAの新時代へ! 五大州で出発の集い】
●本年3000人を超える青年が入会を果たすなど、広布の金字塔を築いたアメリカでは各地で歓喜が爆発。カリフォルニア州では、リバーサイド総合本部の友が明年に向け、さらなる拡大を約し合った(11月18日、リバーサイド市内で)
●世界広布の主役と輝くSGI(創価学会インタナショナル)の五大州各国の友が、”SOKAの新時代”へ出発の集いを晴れやかに開催した。池田大作SGI会長はメッセージを寄せ、明年の「世界広布新時代 開幕の年」、そして栄光の2030年「学会創立100周年」へ、朗らかな、そして堂々たる大前進を呼び掛けた。また世界の識者からも祝福の声が寄せられた。

《世界の識者から祝福の声》
ボリビア サンタクルス大学 デチャサール元総長〉
●深い感動を胸に、創価学会創立83周年、ならびに広宣流布大誓堂の落成を謹んでお祝い申し上げます。
 私たちはアジアの偉大な師匠である池田大作博士とお会いし、対話する素晴らしい機会を得ました。「創立の日」を迎えられ、また、全人類への奉仕活動を通じた皆さまの永続的な前進を目の当たりにし、喜びを新たにします。
 誰もが認める世界のリーダーであり、恩師・戸田城聖先生と先師・牧口常三郎先生の思想を宣揚してこられた池田博士、そしてSGIの皆さまにお祝いの言葉を申し上げるとともに、さらなる成功をお祈りいたします。

ウクライナ キエフ工科大学 ズグロフスキー総長〉
 創価学会創立記念日に際して、広宣流布大誓堂が落成されましたことを心からお祝い申し上げます。
 私どもは、創価学会の活動が多面的に、また重層的に展開されていることに対し、日頃より敬意を表しております。その活動は、世界の隅々にまで広範に繰り広げられている草の根の平和運動をはじめ、幼稚園から大学までの一貫教育機関、さらに東京富士美術館民主音楽協会などを通じての、日本ばかりでなく国際社会をリードする文化・教育運動です。その意味で、このたびの大誓堂の完成は、今後の発展にとって重要な一歩であると理解いたします。
 これまでにも申し上げてきたことですが、創価学会が掲げる生命哲学、人道主義、そして、人間の生き方についての思想は、世界の多くの良識ある人々が共有するものであり、なかんずくウクライナにとっても共感できるものです。
 ウクライナ国立キエフ工科大学の教職員一同は、親愛なる池田大作SGI会長が、我が大学の名誉博士であられることを心から誇りとしており、現代の偉大なヒューマニストとして深く尊敬を申し上げております。
 大切な池田会長のますますのご健康とご長寿を、そしてご活動の実り多きことを、お祈り申し上げます。
 全人類のために、どうかお元気でいてください。
 深い敬愛を込めて。
   (聖教新聞 2013-12-12、以下同)


【きょうの発心 報恩感謝の心で新たな拡大へ】
御文
 日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ(報恩抄、329ページ・編926ページ)
日蓮大聖人の仏法は末法万年にわたり広宣流布し、一切衆生の幸福を実現する大法である、と仰せです。


【2014年  未来部活動大綱 世界広布新時代の主役を育てよう!】
《1 未来部員の取り組み》
◆未来部7つの指針に挑戦!
 一、健康でいこう
 一、本を読もう
 一、常識を忘れないでいこう
 一、決して焦らないでいこう
 一、友人をたくさんつくろう
 一、まず自らが福運をつけよう
 一、親孝行をしよう


《2 家庭での信心の継承の取り組み》
◆SOKAファミリー・チャレンジ
 一、家族で勤行・唱題を行う
 一、家族で座談会、本部幹部会(全国青年部幹部会)など中継行事、部員会へ参加する
 一、家族で信仰体験や、わが家の広布史を語り合うなど触れ合いの機会をつくる


《3 未来部担当者、各部一体で未来部育成の取り組み》
◆未来部育成の指針
〈21世紀使命会 指針〉
 創価後継の太陽たれ

〈未来本部 指針〉
 一、子ども達に希望と勇気のオアシスを
 一、尊き21世紀使命会を最大に応援
 一、一人一人を師弟直結の後継者に


【未来部育成のページ 心に響く励ましの勝利月間(23日まで)を】
《心に希望の語らいを》
 師匠の戸田城聖先生から、いつも決意を聞かれました。
 「できるかい?」
 私は、そくざに「はい!やります」とお答えしました。
 みんなが「それは、無理だろう」ということも、たくさんありました。
 でも、師匠の前で決意し、約束したことです。できないわけがないと決めて、真剣に祈り、思いっきり挑戦しました。
 そうすると、ぐんぐんと力がわいてくるのです。そうやって、一つ一つ、ねばり強く、やりとげてきました。
 その分、自分自身が強くなり、成長でき、前進できました。これが、私の青春です。
 (「希望の大空へ」第11回より)


〈少年部長 青野信一さん  師匠への誓いが成長の力!〉
●「明るい子! 思いやりのある子! ねばり強い子! 池田先生、おはようございます!」と元気よくあいさつし、一日一日、先生と対話する思いで、片道1時間の道のりを6年間通いました。
●苦手なことに逃げずに挑んだ日々。得意ではなかった読書も、毎日、「先生との誓いを絶対に成し遂げよう!」と挑戦を続け、小学校時代に1000冊を読破。人前で話すことができなかった臆病な性格の自分が、題目をあげて勇気を奮い起こし、皆に笑顔で話し掛けられるように変わりました。
 師匠にお誓いし、強盛な信心を貫けば、「負けじ魂」が燃え上がる。乗り越えられない壁はない。開けない未来はない――そう確信することができました。


【文化 土地の記憶をたどる 文筆家 竹内正浩さん】
●東京は、意外なほど古い町割(まちわり)がそのまま保存されている都市でもある。
 とりわけ丘と谷が複雑に入り組んだ地域にその傾向が強い。表面的には近代的な町並みに見えても、江戸時代の切絵図(江戸の市街図)で町歩きが楽しめるのである。考えてみれば、すごいことだ。
信濃町から南元町に抜けた線路際の径(みち)に出羽(でわ)坂があるが、この坂道は、明治維新後、丘の上の元鮫河橋町(もとさめがはしまち)(現在の南元町)に屋敷を構えた松平伯爵家にちなむ名前である。
 松平伯爵家は大名華族で、もと松江18万石の藩主だったという家柄。累代の当主に出羽守という武家官位が与えられてきたことから出羽坂の名を生じたのである。この屋敷の庭は名園として知られ、修徳園という佳名があったほど。
●屋敷跡の一角に設けられた「もとまち公園」の敷地はかつての修徳園であり、さかのぼれば永井金三郎の庭園であろう。永井金三郎は旗本だったが、7000石という大身だった。
 出羽坂を下りると、JR中央線の「鮫ヶ橋通ガード」に出る。坂の突き当たりが学習院初等科の体育館。戦前は宮内省の管理する火除地だった。そしてこの北側には、池が造成されていた。
 坂の左側(北隣)の二葉保育園の場所には、鮫橋尋常小学校が明治36年(1903年)に開校していた。
 谷の狭隘(きょうあい)部分に空地と池と学校運動場を帯状に配置したのは、防火帯が目的だった。
●ガードを越えた南側の「みなみもと町公園」は、永井荷風の『日和下駄』に、「四谷鮫ヶ橋と赤坂離宮との間に甲武鉄道の線路を堺にして荒草姜々(せいせい)たる火避地がある」として描かれた場所である。
●たまたま信濃町界隈を取り上げたが、わずか500メートル四方で、これだけの歴史探索が愉しめるのである。見慣れた町並みが別の色を帯びて見える瞬間、それが歴史地形散歩の醍醐味なのかもしれない。