阪神淡路大震災から19年特集・スタートライン 武田双雲さん 他

2014年1月18日(土)更新:3
阪神・淡路大震災から19年 1・17阪神ルネサンスの日」勤行会 兵庫、大阪で犠牲者を追善】
阪神・淡路大震災の発生から19年となる17日、「阪神ルネサンスの日」勤行会が、兵庫、大阪の4会場で行われ、震災で犠牲になった全ての方々を厳粛に追善した。
 池田名誉会長はメッセージを寄せ、この19年、未曽有の大震災から不死鳥のごとく立ち上がり、奇跡の復興を成し遂げてきた関西の友を心から讃えた。
 さらに、「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御聖訓を拝読。どんなに厳しく苦しい試練の冬も、妙法を信じ抜く人は必ず変毒為薬できる。関西の同志の一歩一歩の前進こそが、全世界への励ましであり、未来への贈り物であると強調。
 「これからも一切を勝ち越え、『常勝歓喜の春の曲』を、わが生命に、わが家庭に、わが地域に、仲良く朗らかに轟かせていってください」と念願した。
 神戸市の兵庫文化会館(中央区)では、東灘総区の久保良治さん・陽子さん夫妻が、活動報告を行った。
 19年前の1月17日、同市東灘区では多くの住宅が倒壊し、地域の同志の世帯も激減。夫妻は友の安否確認と激励に奔走した。
 約1カ月後、座談会を開催。避難所などから二十数人の友がやってきた。「あの日、皆で涙を拭いながら『常勝の空』を歌い、『負けたらアカン』と再起を誓い合いました。大切な原点です」と陽子さんは語る。
 3年後、夫妻は同区内にある約100世帯のマンションに転居。棟内には一人暮らしの高齢者が多く、住民同士が言葉を交わすことはほとんどなかった。
 「震災を通して、地域の“心の絆”の重要性を痛感しました。だから、このままじゃいけないと思ったんです」
 良治さんと陽子さんは、マンション内に「老人クラブ」を結成。住民のふれあいの場をつくってきた。今年で14年目。数人から始まった集いは、今や70人を超える。
 良治さんは「これからも人と人、地域と地域をつないでいきたい。私たちにとっては、この活動自体が復興への歩みなのです」と力を込めた。
 神戸市の長田文化会館(長田区)では、今井昭子さんが登壇した。
 大震災によって、今井さんの自宅は全壊。家族6人での避難所生活が始まった。くじけそうな時も、長田の同志との固い絆があったからこそ、前へ進めた。
 新しい家が見つかり、生まれ育った長田を離れた。以来、転居は3度。行く先々で長田への感謝を胸に、地域広布に尽くしてきた。
 現在、同市の西区で支部副婦人部長を務める今井さん。「苦難を前進の力に変えることができたのは、全て信心のおかげです」と晴れやかに語った。
 西宮市の西宮平和講堂では、福本秋子さんが体験発表。大西副会長らが友をたたえた。
 大阪市の関西文化会館(天王寺区)では、山内総大阪長が「愛する地域を希望の楽土に」と力説。藤原関西副総主事らが激励した。
   (聖教新聞 2014-01-18、以下同)


【神戸で青年復興主張大会 「SOKAグローバルアクション」第1弾】
●青年の体験発表に感動が広がった兵庫青年復興主張大会。兵庫音楽隊が希望のメロディーを奏でた(関西国際文化センターで)
●青年部の平和運動「SOKAグローバルアクション」の第1弾となる「兵庫青年復興主張大会」が17日、神戸市の関西国際文化センターで開催された。
 テーマは「東北・関西の“希望の絆”」。
 発生から19年となった阪神・淡路大震災。次世代への教訓の継承などが課題となる今、地域の発展を担い立つ青年の姿を伝え、東日本大震災の被災地や、全国・全世界に希望と勇気を送るもの。
 大会では、上田総兵庫青年部長が主催者あいさつを。続いて、兵庫の友の代表が体験発表した。
 定本亮平さんは、阪神・淡路大震災を機に消防士を目指し、見事、試験に合格。現在、レスキュー隊として活動する様子を述べた。
 岡田恵美さんは、復興支援への感謝を胸に、東北の被災地で散髪ボランティアを。「医療美容の分野で、夢を送れる人になりたい」と語った。
 山根東北青年部長が東北の復興の歩みを報告した後、東日本大震災で被災した宮城・石巻の黒澤健一さんが体験発表した。
 兵庫県の吉本知之副知事は「悲しみと困難を乗り越え、一人一人が大きく成長されました。復興の原点を継承する創価学会青年部の取り組みを心強く感じました」と講評した。広崎総兵庫長があいさつした。
 SOKAグローバルアクションとは本年、創価学会青年部が開始した平和キャンペーン。(1)平和の文化建設・核兵器廃絶(2)アジアの友好(3)東北の復興――心の福光プロジェクト、の三つを柱に多彩な運動を展開する。


阪神・淡路大震災から19年 特集(下)】
●亡くなった「娘の分も」と、愛を注いだ孫娘。その成長が何よりの喜びと、母は笑う。
●写真の中の笑顔を見ていると、最後に会った日の笑顔が浮かび上がり、涙があふれて仕方がない。「代わりになってあげたかった」。悔やんでも悔やみきれなかった。
 そんな明美さんにとって、3人の子どもが生きる希望だった。たくさんの学会の同志にも支えてもらった。
 震災遺児を抱える同じ境遇の人との出会いもあった。同じ苦悩を分かち合える人がいることで、どれほど心が救われたことだろうか。
 全ての悲しみが癒えるわけではなかったが、祈り続けるなかで、少しずつ考え方に変化が生まれた。
 「智美にできなかったことを楓香に」と、ありったけの愛情を注ごうと決めた。
●楓香さんは今、お世話になった震災遺児らの支援施設「神戸レインボーハウス」で“よきお姉さん”として、親を亡くした子どもたちに寄り添っている。「人の心の痛みが分かる、優しい子に育ってくれた」。明美さんにとって何よりの喜びである。

《生後4ヵ月で死別した母へ 今月、追悼式で手紙を朗読 「産んでくれてありがとう」》
●智ちゃんから見て私はどんな風に成長しているでしょうか。物心ついたとき、智ちゃんはもういなかったので、なんだか不思議な気持ちになったのを覚えています。
 おじいちゃんやおばあちゃんには本当に迷惑をかけていて、感謝してもしきれないぐらい。この家族でいられて本当に幸せです。
 将来の夢はまだ決まっていませんが、少しでも自分と同じ境遇の子どもたちを笑顔にできるような人になりたいと思っています。(抜粋)
 そして、「最後に」――楓香さんが言葉を結ぶ。
 「智ちゃん、私を産んでくれて、本当にありがとう」


《神戸市灘区 小学生の登下校の安全を推進 「見守り隊」に文部科学大臣奨励賞》
●午前7時。まだ人通りの少ない交差点に、緑色のジャンパーと帽子を身にまとった人たちが現れ始める。 児童の登下校の安全を守る「なぎさ見守り隊」。「おはようさん」と、寝ぼけ眼の児童に声を掛け、小さな背中を温かく見守っている。
●登校時の朝の責任者を務める木下博之さん(副支部長)は、「地域一体で、子どもたちのために当たり前のことをしてきただけです」と言う。
●当時の復興住宅には、震災の傷を胸に抱えた子どもたちがあふれていた。大切な家族を失った悲しみは、幼い心にはあまりにも重すぎた。
 足どりの重い子。表情がさえない子。力ないあいさつが返ってくると、胸が締め付けられるようだった。
 「今日一日を楽しく過ごせるように」と、小さな背中に祈りを送り続けてきた。
 「苦しい経験を味わった一人一人やからこそ、必ず希望の未来が広がってる」。
 卒業式。立派に成長した児童たちが告げた。「見守り隊の皆さん、6年間、見守り続けてくれて、ありがとう」。涙があふれて仕方なかった。
 「子どもたちからもらうエネルギーはすさまじい」と、喜びの活力を地域貢献に注ぎ込む木下さんは、灘区老人会の副会長も務めている。
 独居高齢者が増えていることもあり、毎月の誕生日会では、祝ってくれる人がいる喜びに皆の笑顔が輝く。
 男性の一人暮らしを応援する「男の料理教室」では、熟年の壮年たちが、ぎこちない手つきで調理をし、失敗しながら楽しくやっている。
 「少しでも生きる灯(ともしび)になれたらええなと思って。それが信心やから。一つ一つコツコツやっていくだけですわ」


【スタートライン 書道家 武田双雲
●人が物事の考え方を変えるのは難しいので、言葉やリアクションを変えていくんです。例えば、お茶を飲んだ時、「うまいっ!」とか「いやーっ、ありがたい!!」って、前向きな感動を表す言葉や感謝を口に出す。すると“何がいいんだっけ?”と自然に考えて、“あっ!だからだ”と理由が見つかるんです。
 また、恩恵を数える。「……してくれない」ことではなく、「……してもらっている」ということを数えるんです。
 そして、口角を5ミリ上げる。上げすぎると周りの人が気味悪がりますので気をつけなければなりませんが(笑い)。
 普段使っている口癖を変えたり、考え方を柔らかくするなど、習慣をあらためていけば幸福を引き寄せられるんです。
●実は、うちの両親はそういう人で、食事のたびに「こんなうまいもの食べたことがない!」って毎日言う。ですから、毎日、そのベストを更新しているんです(笑い)。
 溢れる感動があると、ありがたいって思いますよね。だから、日常の一つ一つの仕草を、感動や感謝にすることは大事だと思います。
●ネガティブな状態を「ダメだ!」と言って、それで無くなればいいけど、そうはならない。また、「ポジティブでなければいけない!」というのも義務や脅しになる。
 だから、ネガティブな現状を受け入れて、ゆるやかに変わっていく。いわば、「受け入れ系ポジティブ」「ゆるポジ」。あるいはポジを慌てない、「じわポジ」(笑い)。ゆるやかに、じわじわと少しずつ、“みんな幸せになろうよ!”っていう感覚を大切にしたいんです。
●周りには、“決断”に見られることが多いですけど、実はそうじゃないんです。自分にとっては、義務感に流されたり、モチベーションが下がることが最大のリスクだったので、自分がワクワクする生き方を選んだだけなんです。
 例えば起業したいという人は、それをどんどんやればいい。でも、そう思わないのに、勇気を振り絞るようにチャレンジすることは、しなくてもいいんじゃないかと思う。それよりも、毎日の中に小さな改善を見つけ、小さなチャレンジやワクワク感を積み重ねるというのが僕の考え方です。
 だから、チャレンジした結果、傷ついたり失敗したくないという、若い世代の気持ちはよく分かりますよ。
●世の中には、未来の“いつか”のために、今を頑張っているという人が多くいます。それは例えば、受験のために勉強しているような感じ。
 そうじゃなくて、毎日、“勉強おもしれーっ!”“仕事楽しいーっ!”と目の前のことに感謝できて、結果、最高の仕事ができたとか、いい大学に行けたっていうのが理想的だと思います。
 不確定な未来に対して自分がどんな姿勢や言葉で臨むのか。それで、5年後、10年後に、引き寄せているものが、まったく変わってくるんです。未来は自分でつくれるんです。
●書道の目的って何だろうって考えると、答えはその瞬間にしかない。
 “いつか”極めたいじゃなくて、“今”の瞬間瞬間に、感動や感謝を覚えることなんです。
 書道は、“これができて終わり”と、いつの日かゴールがあるわけじゃない。終わりなき旅なんです。その道は、毎日、一本一本の線に感動して、感謝して、楽しむことでできる。結果として、後で人はそれを道というわけで、最初から“こういう道をつくろう”と思ってつくるものじゃないと思います。
 人類に共通して、“不幸よりは幸福がいい”“つまらないよりは楽しい方がいい”“ケンカしているより仲良いのがいい”というのはありますよね。そう、ゆるやかに道筋を決めつつ、日々、出合う一つ一つの物事に、喜びを内包していくんです。
 見えたビジョンを、未来じゃなくて、今に見いだす。“いつかそうなるといいな”じゃなくて、この瞬間に包み込んでいくという感覚が大切なんだと思います。