慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり

2014年1月21日(火)更新:2
・『馴れ合いの怖さは、根本精神を歪めてしまうことにある』
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【新・人間革命 正義 十六】
 笠原慈行は、学会が彼の誤りを正したことを、暴行や傷害事件に仕立て上げて喧伝し、パンフレットまで配布したのだ。
 宗門では、臨時宗会を開いて、笠原に謝罪させたことを取り上げ、信徒が、大法会の最中に“僧侶”を糾弾した“不祥事”として、処分の検討に入ったのである。
 そして、笠原に対する決議は、教義に背反した「神本仏迹論」の異説を放棄したとは認められないとし、「宗制宗規に照し適切な処置を望む」と述べるにとどまった。
 一方、戸田に対しては、「開山以来、未曾有の不祥事」を起こしたとして、「謝罪文の提出」「大講頭罷免」「登山停止」を求める、極めて厳しい決議をしたのである。
 日蓮大聖人は、御書の随所で、「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」(一三九ページ)との仏典の一節を引いて、悪と戦うことの大切さを訴えられている。
 戸田は、宗会の決議を知り、宗門の僧たちから、その精神は消え失せてしまっていることを痛感せざるを得なかった。
 彼らに、正法正義を断じて守り抜こうとの心があれば、青年たちが笠原に、「神本仏迹論」の誤りを認めさせたことを大賞讃しよう。宗会は、正法破壊の悪侶を正すことより、滞りなく儀式を挙行することを重要視していたのだ。戸田は、大聖人の教えに違背した大謗法を責め抜こうとせぬ宗門の惰弱さが情けなく、無念でならなかった。
 「破邪」なくして「顕正」はない。いや、「破邪」なきは、結果的に「邪悪」への加担となり、同罪となることを知らねばなるまい。
 この宗会決議に対して、山本伸一をはじめ、学会の青年部は、各地の宗会議員と面談し、礼を尽くして、理路整然と、その理不尽さを語り、抗議した。そして、宗会議員の過半数が、決議の撤回に賛意を表していった。
 当時の日昇法主も、宗会決議を受け入れることなく、儀式を騒がせたことに反省を求めつつも、戸田の護法への功績を評価した裁定となったのである。
   (聖教新聞 2014-01-21)