C作戦によって邪宗門の呪縛から完全に解き放たれ魂の独立を果たした

2014年1月25日(土)更新:2
・『なすべき時に、なすべき事をしなければ、残るのは後悔である』
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【新・人間革命 正義 二十】
 創価学会は、一九五二年(昭和二十七年)八月二十七日に都知事の認証を受け、九月八日に登記を終えて宗教法人「創価学会」が発足した。これによって、在家信者による未聞の宗教運動の大道が開かれたのである。
 つまり、創価学会は、独自の責任のもとに自立した宗教法人として広宣流布をめざし、仏法を広く社会に開くとともに、儀式、行事を行っていくという使命と役割が明確化されたのである。
 学会が宗教法人としてスタートすると、広宣流布は目覚ましい伸展を遂げていった。戸田城聖が生涯の願業として掲げた会員七十五万世帯の達成も、山本伸一が第三代会長に就任してからの怒濤の大前進も、学会が独自の宗教法人として、自在に大民衆運動を展開することができたからにほかならない。
 後年、腐敗、堕落した宗門は、「C作戦」(Cはカットの意)なる計画を実行し、一九九一年(平成三年)十一月、学会を“破門”するなどという時代錯誤な暴挙に出た。しかし、いくら一方的に“切る”などと騒いでも、学会は、もとより独立した宗教法人である。なんの社会的な影響力もなかった。
 むしろ、それによって、学会は、邪宗門の呪縛から完全に解き放たれ、魂の独立を果たし、晴れやかに、ますます雄々しく、広宣流布の大空に飛翔していくことになる。
 宗教法人の設立という戸田の英断が、どれほど広宣流布の大発展につながっていったことか。伸一は、未来を見すえた師の慧眼と偉大さに感嘆するとともに、“戸田先生に学会を守っていただいた”との思いを深くするのであった。
 世界にあっても、SGIは、九一年の時点で百十五カ国・地域であったが、二〇〇八年(平成二十年)四月には、百九十二カ国・地域へと大きな広がりを見せている。
 一方、広宣流布の団体の破壊を企てた宗門は、その後、衰亡の坂道を転げ落ちていくことになる。それは、まさに宗門こそが、日蓮大聖人から破門された証明といえよう。
   (聖教新聞 2014-01-25)