太陽の励まし(愛媛)・「ヒューマンノート」リーダー寺尾仁志さん 他

2014年1月25日(土)更新:4
【アルゼンチン・タンゴの若き巨匠から池田大作名誉会長に献呈曲「悠久の調べ」】
民音文化センターで行われた献呈曲の贈呈式。「グレコス・タンゴ・オルケスタ」一行が祝福した
●華やかに開幕した「ドラマチック・タンゴ」。名誉会長への献呈曲が初演された(東京・中野サンプラザホールで)

民音公演で初演 3月まで29都市で
 世界平和へ行動する博士の雄姿を讃えて》
●アルゼンチン・タンゴ界で絶大な人気を誇る“若き巨匠”グレコ兄弟(兄=エミリアーノ・グレコ氏、ピアニスト。弟=ラウタログレコ氏、バンドネオン奏者)から、民音創立者池田大作名誉会長に献呈曲「悠久の調べ」が贈られ、贈呈式が22日、東京・信濃町民音文化センターで行われた。献呈曲は24日、東京・中野サンプラザホールで開幕した民音公演「ドラマチック・タンゴ『永遠の旋律』グレコス・タンゴ・オルケスタ」で初演された。
 「グレコス・タンゴ・オルケスタ」の一行14人が出席した贈呈式では、兄のエミリアーノ・グレコ氏が次のようにあいさつした。
 「世界平和を音楽の力で築く池田博士の思想と行動に、深く共感します。何より光栄なのは今回、博士が創立された民音の舞台で演奏できることです!」
 名誉会長への献呈曲「悠久の調べ」の楽譜とCDが、代理の小林民音代表理事に手渡されると、会場は大きな拍手に包まれた。
 グレコ兄弟は曲に込めた思いをこう語る。
 「平和を願い、行動される池田博士の雄姿に思いを馳せながら作曲しました。平和への道のりは、決して平たんではありません。そうした意味も込め、私たちなりに“平和への道”を表現しています。博士に、全ての公演を聴いていただいているつもりで、心を込めて演奏します」
     ◇ 
 実力派アーティストが一堂に集ったタンゴ公演「永遠の旋律」。24日の公演には、アルゼンチンのラウル・デジャン駐日大使夫妻はじめ、中南米7カ国の大使および大使館関係者らが鑑賞に訪れた。
 3月13日まで、29都市で公演を予定。
   (聖教新聞 2014-01-25、以下同)


【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも) 〈60〉 愛媛】
《この地 愛さむ 共戦嬉しく》
●「美しき山河と海に包まれた天地」――池田名誉会長はそう愛媛をたたえた。
●暖かな
  心の如く
   愛媛なる
  この地 愛さむ
     共戦嬉しく

〈“一日会長”です〉
●「21世紀に至る、新しい四国の発展の源流を作ろう!」
●愛媛は、第1次宗門事件がいち早く勃発した地域。前年から、大洲市の寺を筆頭に、邪智の坊主が反逆者と結託し、僧俗和合を願う学会員の真心を逆手にとって、卑劣な分断の陰謀を続けていた。
 苦闘の友を励ますために、名誉会長は来たのである。
●自分が付けていた胸章を外し、土川さんの左胸に。そして、手を取り笑顔で一言。
 「皆さん!きょうはこの方が“一日会長”です!私は秘書です」
 どっと場内が沸いた。
 御書に「一は万が母」(498ページ)と仰せである。「一人」への励ましを通じて、名誉会長は、全ての愛媛の同志をたたえたかったのだ。
 突然の“会長指名”に驚き、感激した土川さんは、自分の席に戻ってからも、胸章を付けたままである。
 スピーチを終えると、名誉会長は再び、土川さんに語り掛けた。
 「参加者の皆さんの万歳を三唱しましょう!その音頭を、“きょうの会長”にお願いします!」
 再び笑顔の花が咲く。土川さんも笑っている。そして、元気いっぱいに手を突き上げた。「参加者の皆さん、ばんざーい!」
●「先生と一緒に写っている写真を見たんですが、“こんな笑顔、見たことない”って思いました。堅物みたいなイメージでしたから けれど、信心に巡りあってからは、池田先生一筋の父でした」
●「先生一筋だった父のように、人生勝利の実証を」と誓う祥治さん。


伊予三島駅で〉
●「今、池田先生の電車が観音寺駅を出た」という一報が入った。
 あと15分ほどで特急は駅に着くはずだ。“行くべきか、行くのを控えるべきか”
 議論白熱の末、“やっぱり行きたい!”となった。10人ほどの婦人が、入場券を手に駅のホームに駆け込んだ。
●「先生!」「先生!」
 「絶対に勝ちます!」
 無我夢中で手を振った。
 窓が開かず、会話はできない。だが名誉会長は、「うん、うん」と大きくうなずき、身を乗り出すようにして手を振り替えしてくれた。
 「『全部、分かっているよ!』と、おっしゃってくださっているように思えました」
●皆で藤田さん宅に戻り、感動を語り合っていると、人が訪ねてきた。
 「池田先生のご配慮です」
 駅弁が携えられていた。
 藤田さんは言う。「一瞬の出会いで、先生は一生の思い出をつくってくださった」
●「『あんた、なんでそんなに強いん?』って言われるんです。そら、先生のおかげですよ。いっつも心の中の先生と対話してる。だから頑張ってこられたんよ」


〈これで勝った!〉
●付けていたカーラジオから、耳を疑うニュースが聞こえてきた。“創価学会池田大作会長が退陣”――。
 「悔しいなんて言葉じゃ言い表せなかった。今でも涙が出ます。だから『さんふらわあ7』号の話があった時は、すぐに手を挙げました。『先生が来られないのなら、こちらから行きます!』って」
 ――80年1月14日。横浜港の大桟橋で、名誉会長は皆の到着を待っていてくれた。
 「よく来たね。これで勝った!21世紀が見えた!まさか海から来るとは!」
 神奈川文化会館でも友への励ましは続いた。
●「みんな、おいで!一緒に写真を撮ろう!」
 名誉会長の隣に立ち、カメラに納まった。「夢のようでした。そこまで激励してくださるなんて」と河野さん。
 夜、1000人が再び船上に。港を離れてまもなく船に連絡が入った。“名誉会長が懐中電灯で見送りをしてくださっています”と。
 神奈川文化会館の最上階で、二つの光が、ゆっくりと揺れていた。
 「ああ、先生と奥様だ……」
 河野さんが、胸に手を当てながら言った。「あの時の光は、ここに残っていますよ。『ずっと、みんなを照らしているよ』って、おっしゃっているような光でした」
 尽きせぬ感謝と誓い。それは、愛媛と四国の、全ての同志の心にあるに違いない。


【スタートライン ボーカルグループ「ヒューマンノート」 リーダー 寺尾仁志さん】
《人と人を結ぶ歌声のチカラ》
●大勢で歌っているからといって、“私一人くらい大丈夫やろ”と手を抜いてしまうのは、ホンマにかっこ悪いと思ってます。音楽に対して失礼だし、そんな歌では聴いている人の心に届きません。一人一人が自分の思いを込めて、自分を輝かせて歌う。だから、歌う時は、みんな自然と表情が豊かになっていく。歌うことを通して、その人自身が変わっていけるんです
●デビュー前の下積みのころから、ゴスペル教室の講師をずっと続けていて、ある時、150人の生徒さんたちとコンサートをする機会があったんです。終わった後、うつ病パニック障害を抱えながら挑戦した2人の方が、「生活の中に歌があってよかった」「頑張ろうという気持ちがわいた」と歌う喜びを語ってくれました。
 その瞬間、僕の中ではじけるものがあった。実はソロ活動の中で“本当に自分が歌いたい歌は何なのか”という葛藤を抱えていたんですが、大勢で歌える喜びを具体的な形にして表現することは、歌う人にとっても、社会に対してでも、価値あるものになるのではと直感しました。

♪ずっと
 探し求めていた
 誰にも似てないストーリー
 自分を本気で信じる力で
 扉は開くと気づいた♪ (「物語」より)

育児放棄や虐待を受けた経験など、メンバーには壮絶な環境で生きてきたという人もいます。それが、皆と一緒に歌う中で、自分の“居場所”ができたことが喜びになったりします。
 多くの人が、人には見せられない、見せたくない“傷”を持っているもの。でも、仲間と歌うことで、そんな“傷”もさらけ出せる、自分を解放できる場所でありたいと思ってます。
●手作りのバッグを喜んでくれるケニアの子どもの姿を伝えると、日本の子たちも、自分にも人のためにできることはあると実感することができます。
 先日、カンボジアで歌える機会をいただきまして、グループの多くのメンバーが生活など大変な中を挑戦して、異国の舞台に立ちました。大成功で終えた後のミーティングで、皆、涙を流しながら口々に「できるか、できないかは自分が決めること。できると決めれば、必ずできる」って。そんなことを言う“おばちゃん”たちって、カッコエエなって思いました(笑い)。

♪ひと口のごはんを食べる幸せは
 決して当たり前なこと
 なんかじゃなくて
 ひと粒の涙を流すように
 噛みしめていく 喜び悲しみがある
 いただきます ごちそうさま
 それは愛の言葉…♪ (「ごはんの唄」より)

東日本大震災の2カ月後、南三陸町を訪れ、自分たちに何ができるのか悩みながら歌ったのが「ごはんの唄」でした。一人の女子高校生が「感動しました」と言ってくれ、僕たちの活動が南三陸にも広がりました。被災者の方々の本当の気持ちは、分からないかもしれない。でも、歌を歌いながら寄り添うことはできる。歌には人と人を結ぶチカラがあると思っています。
●楽しむ心、感動する気持ちがあるから、いろんな活動も継続できる。「しなければならない」という気持ちになってしまえば、グループとしての成長も止まってしまいます。
 みんなに喜んでもらいたい、感動を伝えたいと思って、僕たちは歌っています。だけど、僕たちの方が、感動をもらっていることが、ホンマに多くあります。「与えるつもりが、実は与えられている」と思ってます。
●「ヒューマンノート」は、僕が音楽活動の中でもがいて、苦しんだ先に見つけた夢でした。夢は見つかるものではなく、見つけるもの。どんな仕事でも一生懸命やれば、夢は必ず見つけることができる。
 今、夢を持てない子どもが多いなと感じます。それは、大人が夢を見ていない、ワクワクして生きていないからじゃないかと思うんです。子どもに「夢を持て」という前に、僕たち大人が夢を持つこと――それが子どもに伝わっていく。だから、これからも、僕自身は大きな夢を持ち続けたいと思います。

♪あきらめないで
 君の夢は 誰のものでもない
 チカラの限り
 駆け抜けよう 向かい風の中を
 心の地図を広げて 君だけの未来へ
 フミダソウ 今…♪ (「フミダシテ」より)