誰もが耳を疑うような、予期せぬかたちで競い起こるのが魔なのである

2014年2月3日(月)更新:2
・『御本尊と御書を根本とし、大聖人に直結せずして、正法正義なし』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190910


【新・人間革命 正義 二十七】
 創価学会は、荒れ狂う社会にあって、現実の大地にしっかりと足をつけ、人びとと同苦し、仏法を生活に即して語りながら、広宣流布の新しき地平を開いてきた。しかし、広布への責任と使命を自覚できない僧には、社会、民衆に仏法を開いていくことの大切さが、わからなかったにちがいない。
 彼らは、広宣流布誓願に燃えて、自在に活動を推進する学会に対して、幹部らの言葉尻をとらえては批判してきたのだ。
 また、激しさを増す僧たちの学会誹謗と相(あい)呼応するかのように、一九七七年(昭和五十二年)の七月下旬から、一部の週刊誌が学会への中傷記事を掲載し始めた。学会が大石寺を“兵糧(ひょうろう)攻め”にしているとか、大石寺が乗っ取られるなどといった喧伝が繰り返されたのだ。学会を敵対視する住職のなかには、御講の席で御書講義もそっちのけで、そうした週刊誌を手にして学会を誹謗する者もいた。
 「ここに出ていることは本当なんです! 学会に騙されている。学会は謗法です」
 学会を攻撃する寺は、次第に増えていった。
 多くの学会員にとっては、青天の霹靂であった。会員は皆、寺に対して、純真に尽くし抜いてきた。だが、御講に行くたびに、“謗法”呼ばわりされるのである。
 皆、訳がわからなかった。唖然とした顔の壮年もいた。悔し涙をこらえる婦人もいた。抗議の声をあげる青年もいた。
 “こんなことを言われるくらいなら、もう寺には来たくない”と、肩を落とし、悔しさと怒りに震えながら家路をたどるのである。
 悪侶による学会への誹謗は、葬儀の場にも及んだ。学会員ではない親戚や縁者(えんじゃ)が多数集った通夜の席で、「創価学会の信心では成仏できない」と、僧が言うのである。
 最愛の肉親を亡くした悲しみの傷口に、塩を塗るような非道な仕打ちであった。「哀悼の涙」は、「憤怒の涙」に変わった。
 懸命に広宣流布を進める創価学会を、僧侶が攻撃する。誰もが耳を疑うような、予期せぬかたちで競い起こるのが魔なのである。

   (聖教新聞 2014-02-03)