もうこれ以上、同志を苦しめたくはない!

2014年2月6日(木)更新:2
・『週刊誌などに、学会を中傷するための情報を流し続けていたのも、山脇』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190926


【新・人間革命 正義 三十】
 僧たちの仕打ちは冷酷であった。
 福井県に住む婦人部員の夫が、信心することになった。夫人の念願が叶っての入会である。入信の儀式の“御授戒”を受けるために、その夫妻に同行して、壮年・婦人の幹部も寺へ行った。
 寺には、学会を敵対視する住職の影響を受け、学会批判を繰り返すようになった若者らが集っていた。
 住職は、約束の時刻になっても“御授戒”を行おうとはせず、学会を誹謗し始めた。
 「学会の会館に行っても功徳はない。寺に来てこそ功徳がある。そもそも、生きている時に寺へ来ないで、死んで厄介になろうなどというのは、おかしな話ではないか」
 「そうだ!」と、若者たちが口々に叫ぶ。
 付き添っていた幹部は、信心しようという人の前で、住職らと争う姿を見せたくはなかった。“こんなことを言われて、入会の決意を翻さなければいいが……”と、ハラハラしながら、じっと耐えていた。
 学会への誹謗は、四十分、五十分と、延々と続いた。遂にたまりかねて、壮年の幹部が強い語調で言った。
 「“御授戒”は、どうなっているんですか!」
 「なんや、おまえ!」
 若者たちが、壮年幹部を取り囲んだ。緊張が走った。住職は、“これはまずい”と判断したのか、ようやく“御授戒”を始めた。
 こうした寺が増え、学会員の多くが、寺へ行くたびに悔しさを噛み締めてきたのである。
 山本伸一は、学会員の苦渋の訴えに、胸をかきむしられる思いがした。
 “なぜ、罪もない学会員が、最愛の仏子たちが、こんな目に遭わなくてはならないのだ! もうこれ以上、同志を苦しめたくはない! 学会員は、広宣流布の使命を担って出現した仏子である。なればこそ、その方々を命がけで守るのが会長である私の務めである。断じて、断じて、守り抜かねばならぬ!”
 広宣流布に生きる人を、仏に仕えるがごとく守り抜く。そこに仏法の王道がある。

   (聖教新聞 2014-02-06)