弘教に励む学会員こそ「仏の使い」

2014年2月17日(月)更新:1
【世界広布新時代の旭日(23) 弘教に励む学会員こそ「仏の使い」】
《真心の祈りは友の心に響く
 宗祖違背! 権威、差別の日顕宗》
原田会長
正木理事長
杉本婦人部長
橋元青年部長
竹岡男子部長
吉井女子部長
 杉本 今から792年前の1222年(貞応元年)2月16日、日蓮大聖人は安房国(現在の千葉県)に誕生されました。
 吉井 大聖人は「民が子」(御書1332ページ)、「民の家より出でて」(同1407ページ)と、庶民の生まれであることを宣言されました。そして、末法万年の「民衆の幸福」のために、不惜身命、死身弘法の崇高な生涯を貫かれました。
 杉本 さらに、「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(同1558ページ)と仰せの通り、大難の連続の中、弘教を進められました。
 原田 創価学会も庶民の中から生まれ、庶民と共に歩んできました。また、創価三代の会長は、御聖訓の通りの難と戦い、世界広宣流布の道を開かれました。大聖人が、どれほど、お喜びくださっていることか。ここに学会の強さがあり、大聖人の御精神が脈打っていると確信します。
 正木 大聖人は封建社会鎌倉時代に、真実の民衆仏法を弘められました。「僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)と、一切衆生の“平等”を説かれたのです。
 竹岡 しかも、立正安国論の中で、「国」の字に、「くにがまえ」に「民」の「クニ」という字を多用されています。「国の根本は民衆」との思想が拝されます。

〈信徒の供養で遊興〉
 橋元 ところが、その大聖人のお心に違背し、僧俗差別、信徒蔑視の邪義を唱えたのが日顕宗だ。
 竹岡 日顕宗には、「僧が上、信徒は下」という時代錯誤の狂った差別意識がまん延。日顕自ら、「民衆、民衆って言う奴ほどバカなんだ」(94年8月、教師講習会)などと臆面もなく放言している通りだ。
 橋元 あきれ果てて、物も言えない。ろくな修行もせずに、袈裟衣を着ただけで、偉くなったような気になり、信徒に服従を強いるのが日顕宗の坊主ではないか。大聖人の御精神など、みじんもない。
 竹岡 それどころか、信徒の供養で遊興、ぜいたくを繰り返してきた。まさに「食法がき」(御書1111ページ)そのものだ。
 正木 現実に折伏を真剣に行じてきたのは学会員です。「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(同1121ページ)とたたえてくださっている通りの「仏の使い」の行動です。
 原田 宗門は、ことごとく御書に反してきた。御書には、「久遠実成の釈尊と皆成仏道法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」(1337ページ)ともある。大聖人と御本尊と私たち衆生の生命には、全く差別はないとの仰せです。宗祖のお心を踏みにじった日顕宗と決別して23年。太陽の仏法は、192カ国・地域に広がりました。私たちは、大聖人の御遺命である世界広宣流布へ、さらに固く団結し、前進していきたい。

〈勇気・感謝・誠実〉
 橋元 今、青年部をはじめ、全世界の同志が弘教・拡大に取り組んでいます。
 吉井 かつて、池田先生は、折伏・弘教に挑戦する上で、大事な3点の「心」を教えてくださいました。
 原田 その第一は「勇気」です。折伏は難事中の難事と御書に説かれているからこそ、勇気なくしては成し遂げられません。勇気をもって語れば、たとえその時は信心しなくても、友の生命の大地に仏種を植えることができるのです。
 正木 第二は、「感謝」です。宿命に泣く悲嘆の人生から、使命に生きる歓喜の人生へ。仏法を教えてくれた学会と師匠と同志への報恩感謝を忘れない人生は、深く、美しく、そして強いのです。
 原田 最後の第三に、折伏を決する心は「誠実」であると言われています。深遠な仏法の法理を語ることが、すぐに友人の心を動かすとは限りません。最後の決め手は、やはり、紹介者の大誠実の振る舞いです。祈りであり、真心であり、相手を思いやる真剣な心が、友の心に響き、友の心を変えるのです。
 杉本 先生はまた、「お互いが成長し、善き人生を生きるために、胸襟を開いて語り合う。悩める友に寄り添い、同苦し、一緒に壁を破って、勝利の人生を開こうと呼びかける――この生命の触発作業こそが、我らの対話であり、折伏である」とも綴られていますね。私も心しています。
 正木 折伏は、自他共の幸福を築く仏道修行です。折伏に励んだ思い出は、金の思い出となります。自身の歴史に燦然と輝きます。
 吉井 だからこそ、積極的に動いて交流し、友と縁していくことが大切になりますね。
 原田 「仏の使い」は折伏しかありません。折伏をしている人が仏になるのです。仏法の「宝の中の宝」の人なのです。友人、知人をはじめ、自身に縁する全ての人々を、何があろうと絶対に壊れることのない幸福の境涯へ導く、折伏の大道を共々に勇敢に進んでいきましょう。

   (聖教新聞 2014-02-17)