「信心とは、一言すれば、確信であるといえます」

2014年2月20日(木)更新:1
・『牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信に立たれていたではないか』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20191122


【新・人間革命 正義 四十二】
 戸田城聖は、「創価学会の歴史と確信」(注)のなかで、学会は発迹顕本したとの確信に立って、大折伏大願成就のための御本尊を、法主・水谷日昇に請願したことを記述している。
 日昇法主は、学会の決意を大賞讃して、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を認めたのである。広宣流布こそ、日蓮大聖人の大誓願にほかならない。そして、地涌の菩薩の使命に燃え、大聖人の眷属、末弟子の自覚に立った戸田の大誓願であり、創価の同志の大誓願であったのだ。
 この御本尊のもと、喜々として弘教に走る会員の姿を、戸田は次のように綴っている。
 「一大決意のうえ、実践運動にとりかかった会員は勇気に満ちみち、一糸乱れざる統帥のもとに、厳たる組織のうえに、足並みそろえて大折伏に行進しだしたのである。創価学会のごとき団体が、過去七百年の間に、どこにあったであろうか。各理事、各部長の勇敢なる闘争心、つづく負けじ魂の各会員、講義に、折伏に、火の玉のごとき状態である」
 大法弘通を、慈折広宣流布を、わが使命と定めた同志は、皆が地涌の菩薩である。仏の使いである。したがって、その自覚に立つ時、自身の境涯革命がなされ、いかなる宿命の嵐をも勝ち越える、大生命力が脈動するのだ。
 戸田は、こう宣言している。
 「時は、まさに来れり。大折伏の時は、まさに来れり。
 一国広宣流布の時は、まさに来れり。いな、いな、東洋への流布の時が来たのである」
 創価学会の確信とは、日蓮大聖人の仏法への、御本尊への大確信である。
 また、その大法を弘める、創価学会員の私たちこそ、地涌の菩薩であり、大聖人の眷属、末弟子であるとの大確信である。
 さらに、断じて広宣流布の勝利の旗を打ち立てんとする大確信である。
 山本伸一は、伊豆の同志に訴えた。
 「信心とは、一言すれば、確信であるといえます。確信は、自身の確固不動な信念となり、それが生き方の骨格をなしていきます」
■引用文献
 注 「創価学会の歴史と確信」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社

   (聖教新聞 2014-02-20)