大いなる問いこそが大いなる人生を創る

2014年2月26日(水)更新:3
【響き合う魂 SGI会長の対話録 第27回 フランスの作家 アンドレ・マルロー氏】
 「私が日本を訪れるのは、これで4度目ですが、今回、いちばんお会いしたいと思っていたのが、池田会長でした」
 フランスの作家アンドレ・マルロー氏が、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長を聖教新聞本社に訪ねたのは、1974年5月18日。「モナ・リザ」展のフランス政府特派大使として、来日していた。
 「さっそくですが、まず私からおうかがいしたいのは、創価学会の活動とは、どのようなものか、ということです」
 単刀直入。余事(よじ)を交えず、“直球勝負”で、事の本質を見極めようとする。あの鋭い眼光で――。
 これまで多くの日本の要人と会ってきたが、「儀礼的なふれあいばかりで、率直さが皆無でした」と、遠慮がない。「池田会長は日本人としてはひじょうにまっすぐにものを言う方と思っております。私自身もそうした人間です」
 SGI会長が答えた。「結論していえば、仏法を生活のうえ、現実の社会のうえに脈動させ、平和と文化の価値創造のために、反映させていくということを目的にした活動といえるかと思います」
       ◇
 「これは二人の大実践者の対話である」と、フランス文学者の桑原武夫氏は、対談を評した。
 SGI会長が「実践者」であることは自明として、マルロー氏もまた、行動に次ぐ行動の中で、人間の生き方を問い、作品にして発表し続けてきた。
 「20の人生を生きた男」といわれた。1901年、20世紀とともに生まれ、「辻馬車から宇宙船まで、たった一世代のうちに変化をとげるのをみてきた」。
 インドシナの密林で遺跡を探査し、中国革命の動乱の目撃者となり、スペイン内戦では国際義勇軍の飛行隊長として出撃。第2次世界大戦では、「ベルジェ大佐」の偽名で、ナチスへのレジスタンス(抵抗運動)を戦った。
 戦後は、ドゴール政権の文化大臣として世界を駆け、アメリカのケネディ、インドのネルー、中国の毛沢東らと会ってきた。
 4度の来日を通じて、氏の、日本の美と精神への造詣は深かった。「心酔」と言ってもいいかもしれない。
 「私は、日本こそ新しい人間形成の典型像をつくりうる最後の国であるという信念を持っている」
 そうした氏が、SGI会長に深い関心を抱いたのも必然といえる。日本最大の民衆組織を率い、人間主義の思想を社会に広げ、「現実の力」を有するに至った仏教指導者。
 その思想とは? その運動の方向とは? 世界の行く末にまで影響を与え得る存在なのか?
 率直な対話は、核問題、国連の役割をはじめ、意見を異にする部分も多かったが、自分より26歳も若いSGI会長に対する氏の期待は終始、変わらなかった。
 トインビー博士の思い出を語るSGI会長に「(博士は)歴史家という意味では過去に関心がある人です。それとは違って池田会長の場合は、未来に働きかけておられる」と。
 SGI会長が教育の重要性を訴えると、こう返した。「創価学会のような人間形成の運動にほんとうに力が加われば、そして日本人の形成を決意するならば、これは人類にとって一個の亀艦(きかん)となりえましょう」
 そして、「もし池田先生がパリにいらっしゃるとき、私もパリにいるようでしたら、またいろいろとお話をしたい」と再会を望んだのである。
       ◇
 その機会は、早くも1年後に訪れた。75年5月19日。今度はSGI会長が、パリの南郊、ヴィリエールにある氏の自宅を訪ねた。
 対談の主題の一つは、人は「歴史的責任」をどう引き受けるか、ということであった。
 「現代は決断不在の時代」であり、歴史への責任を自覚した政治などなくなってしまった。50年後には、政治家という存在は死に耐えるだろう――と氏は手厳しい。
 時に、未来への深い懐疑を垣間見せる氏に対し、SGI会長は希望を手放さなかった。民衆愛、平和への情熱、そして精神革命の可能性を、ほとばしるように語る。
 氏も、それを認めた。
 「かつてヨーロッパにキリスト教がもたらした精神革命といったものが、ふたたび仏教によってもたらされないという保証はどこにもない、ということです」
 そして氏のほうからは、こう尋ねるのである。
 「現時点では、もっとも重要なものは人間ということになりましょう。あなたの眼には、人間にとってなにがもっとも重要なものと映りますか」
 まさに根源的な問いであった。
 SGI会長は答えた。
 「人間そのものの生き方、その主体である人間自身の変革がどうすれば可能かということでしょう」「人間の尊貴さは、その無限の可能性にあると信じ、そこにいっさいをかけ、それを規範として行動していきたいと思います」
 氏の眼が光った。
 「期待しています」
 ――この2度の語らいは翌76年8月、対談集『人間革命と人間の条件』に結実した。氏の訃報が世界を駆け巡ったのは、その3カ月後のことであった。
 マドレーヌ夫人からはその後、氏の手稿(しゅこう)や画集など、貴重な遺品が折に触れて届けられた。「日本人で、マルローと対談した方は本当に限られた方だけでした。池田会長は、マルローの尊い友人なのです」と。
 マルロー氏の遺産は、氏の残した「答え」よりも、「問い」を発し続けたという事実の中にある。
 SGI会長は、対談を振り返り、つづった。「今、社会の蘇生に必要なのは、安易な既成の解答ではない。全生命をかけた『大いなる問い』であり、『大いなる問い』を生き抜く求道の真摯さではないだろうか」
 その挑戦は、21世紀への責任を持つ青年へと引き継がれていく。

   (聖教新聞 2014-02-26)