諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり(御書335ページ)

2012年4月26日(木)更新:1
・斧節『「三障四魔」という教義に潜む問題』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120425/
●わが子が重病にかかっているのに、お灸の治療をしないでおられようか(御書236ページ、通解)
●弟子一仏の子と生まれて諸教の王に事(つか)う、何ぞ仏法の衰微(すいび)を見て心情の哀惜(あいせき)を起さざらんや(同26ページ)
●心の及ばざるか理の通ぜざるか、全く仏子を禁(いまし)むるには非ず 唯偏(ただひとえ)に謗法を悪(にく)むなり(同30ページ)
●仏法では、「相手の謗法を知りながら、それを諫める慈悲の心もなく、詐(いつわ)り親しむことは、その相手にとって怨(あだ)となる」と説かれる(開目抄、237ページ)。破折の目的は、正法を護るためであると共に、謗法に染まった人々の生命を救うためでもある。(『御書をひもとく 要文123選』)
●人間は、誰からも厳しく言われなくなると、増上慢になって、駄目になる。堕落してしまう。だからこそ、謙虚に自分を律していかねばならない。 (御指導、聖教新聞 2010-01-24、以下も)
●他人には分からない悲しみもある。気楽な暮らしも、いつまでも続かない。人生は変化の連続だ。人間は、やがて歳を取る。病気にもなる。そして最後は死んでいく――。それが人生の実相である。だからこそ確固たる哲学を持ち、真に価値ある日々を築いていかねばならない。
●自分自身の生命に、厳然と刻まれる仏法の因果は絶対にごまかせない。ゆえに、他人がどうかではなく、自分と向き合い、自身を変革していくことが大事なのである。(『御書をひもとく 要文123選』)
日蓮大聖人は当時の日本の人々は、じつは「頭破作七分」「心破作七分」の状態になっているのだが、悪業が深いために、自分が深く病んでいることに気づいていないと嘆かれている。
 「たとえば、傷を負った人が、酒に酔っぱらったり、熟睡してしまえば、その傷の痛みを感じないようなものである」(御書924ページ、通解)と。
 人々の根本の迷妄、汝自身を知らない「無明」を教えられた御文である。
 そして大聖人は「今、日蓮ならびに門下が題目を唱えたてまつる時、初めて無明の酒がさめるのである」(同735ページ、通解)と仰せである。(御指導、1989-02-14)