自分の弱点に挑戦していこうと一歩を踏みだすことから人間革命が

2012年8月14日(火)更新:2
・『私達がめざしているのは、人々の幸福と社会の繁栄を実現していくこと』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20140506/


【新・人間革命 厚田 五十】
 漆原芳子は、病を克服しようと、懸命に信心に励んだ。すると、入会三カ月余りで、職場に復帰することができた。
 その直前、あの「小樽問答」が行われた。彼女も、この法論を傍聴した。山本伸一の司会第一声から相手の誤りを突き、学会が大勝利を収めたのである。
 それを、つぶさに見た彼女は、学会の信心に、ますます強い確信をもった。その喜びが、さらに芳子を活動に駆り立てていった。
 実は、彼女には、自身や家族の病の克服以外にも、なんとしても知りたい、一つのテーマがあった。“自分はなぜ、あの日、「洞爺丸」に乗らずに救われたのか。それは、どんな意味があるのか”ということであった。
 “もし、「洞爺丸」に乗っていれば、私も死んでいたにちがいない。生死を分けたのは、東京行きを止めるように諭す母の言葉であった。でも、それでも行くと、私が強く主張していたら、母は認めていただろう……”
 偶然といえば、偶然のようにも思えた。しかし、人生が、すべて偶然で決まってしまうならば、努力することさえ、空しくなってしまう。彼女は、心の底から納得し、生命で実感できる、確かな回答を仏法に求めた。
 しかし、職場復帰を果たした彼女は、仕事に追われ、学会活動を終えると、疲れ切ってしまい、教学に取り組むことができなかった。任用試験も不合格に終わってしまった。
 一九五六年(昭和三十一年)八月、北海道に、旭川、札幌、小樽、函館の四支部が誕生する。この時、芳子は、函館支部の女子部の責任者に任命された。
 “自分に、役職を全うできるだろうか”という不安も感じたが、彼女は、心に決めていたことがあった。それは、“何があろうと、広宣流布の活動からは逃げない”ということであった。“引っ込み思案”である自分の性格を変えたかったからである。
 自分の弱点は何かを見つめ、そこに挑戦していこうと一歩を踏みだすことから、人間革命が始まるのである。  (聖教新聞 2012-08-13)