亡き同志の心を継いで被災した人々に尽くす。「女川がんばっぺ!」と

2013年3月24日(日)更新:6
【東北福光新聞】
《希望を紡ぐ日々》
●「最初は俺も車なくて大変だったんだあ。だから送ってもらうと、うれしいだろうなと思うんだ」
●「震災前はね、人を見下してばかりいたんだ。震災に遭って信心に立ち上がって何事にも感謝できるようになったんだあ」
      ◇
●震災から4日後の15日、物資を届けた避難所で、高等部時代から面倒をみてくれていた先輩の杉山さんに会った。杉山さんも物資を届けに来たところだった。自らも被災して家を流されたという。「大壁君が人のために頑張っていて、うれしい」と、その杉山さんに褒められた。
 「あの人から褒められたの初めてだったんだあ。その時ね、ああ、今、俺は池田先生と一緒に人のために尽くしているんだって思えたんだあ」
 これを機に腹を決めた。「これからの人生を、女川の皆のために使おう」と。
      ◇
●よし子さんは郡山に出ていたが、震災前、女川に戻っていた。皆に尽くす後ろ姿で信心を教えてくれた母の介護のためだった。その母が津波の犠牲になった。
 「支部の皆さんが、真面目に信心を貫いた人だったって言ってくれて……」
 よし子さんが涙をにじませる。
 「初めは郡山に帰ろうと思ったんですが、母から『女川のために尽くしなさい』って言われているような気がしたんです」
●こうして震災を前に吸い寄せられるように女川に戻ってきた2人が、震災に打ちのめされた女川のために生きようと、手を携えて新しい人生を踏み出した。
      ◇
●昨年5月、「自分のことは後回しにしても人々のために尽くす」信仰者の生き方を教えてくれた阿部純也さんが急逝した。
 生前、阿部さんは言っていた。「自分が人から何かをしてもらいたいという思いはない。この女川が立ち上がった姿を師匠・池田先生に見ていただきたい。これが弟子だと思うんです」
      ◇
●今月、大壁さんは石巻警察署から、仮設団地の防犯サポーターに任命された。
 「俺がだよ!誰よりも、ちゃらんぽらんな人生を送ってきた、この俺が、61歳過ぎて決意して、今、地域の人たちから信頼されるようになったんだ。だから、どんな人にも可能性があるって確信できんだあ」
 大壁さんは笑いながら目頭を押さえ、言葉を継ぐ。
 「それもこれも純也さんのおかげだよ。純也さんとは今も一緒に戦っている気持ちでいるんだ」
      ◇
●ある時、「元気が出る新聞だから」と聖教新聞を夫妻で近所に配って歩いた。
 明くる日、一人の婦人が訪ねて来て「読んで勇気をもらいました。この仮設に来て一番良かったのは、あなたに会えたことです」と、よし子さんに告げた。目にいっぱい涙をたたえ、よし子さんの手を握りしめた。
●「春を告げよう!新生の春を告げよう!」(『新・人間革命』「福光」の章)
●大壁さん夫妻は、この言葉をかみしめ、「皆に新しい人生の春が来るといいね」と会話を交わしながら、きょうも仮設住宅を一軒また一軒と歩いている。


《共に生きる未来 高齢社会の医療の危機 東北の被災地がモデルに 岩手県立高田病院 院長》
●高田病院は「地域に必要な医療を提供する」ことを目標としてきました。そのためには、地域にとって、何が必要なのかを知ることが大切です。陸前高田には11の地域がありますが、それぞれのコミュニティーセンターで、住民の声を聴く懇談会を、毎月開催しました。それは、震災以降も継続し、避難所から仮設に移る時期などに、心配なことや要望を聴き取る場として機能しました。
●高齢社会に向けて、既に今でも、介護する人が足りないという悲鳴が全国から聞こえてきます。医療や介護分野の努力もありますが、コミュニティーが声を掛け合い、支え合うことが大事になってきます。
 そのようなコミュニティーが機能する社会は、住民にとって、とても安心な社会といえるでしょう。若い人たちも、将来に安心と希望を見いだし、この地域で暮らしたいと思うでしょう。
 これからは、そのような取り組みに早く動いた地域が、輝く時代になっていくのではないでしょうか。そのような時代をつくる一つのモデルを医療者としてこの地域で提供したいと、私たちは思っています。
   (聖教新聞 2013-03-24)