きょうは「聖教新聞創刊原点の日」

2013年8月24日(土)更新:5
【名字の言】
 インターンシップ(就業体験)で来た女子学生に、ある地方紙が小さな書道展を取材してもらった。原稿用紙と格闘した彼女の記事は、いい内容だった。そこで、あらためて取材し直して出来た記事は、社会面のトップを飾った▼女子学生が取材した出展者は、病気でほとんど目が見えなくなっていた。「目が見えていた証し」として、書道の作品を書き続けていたのだ▼インターン研修生でも、トップの記事を書けた。なぜなら――と、当時の社会部長は言う。「研修生が書くわけではなく、相手が書かせてくれるわけですから」(『「知」の挑戦 本と新聞の大学?T』集英社新書)▼編集に携わる人の実感であろう。私たちに、ペンを走らせる力を与えてくれるもの。それは取材で出あった「感動」である。苦難を乗り越えた人の深い信仰観、師匠と共に生きる誇りに触れ、感動したら、それをそのまま活字にすればよい。文章の技巧や記者の解釈は、かえって邪魔にさえなることがある。その意味で、強い信心に立ち、常に心の鏡を磨くことが根本である▼きょうは「聖教新聞創刊原点の日」。厳粛な師弟の歴史と精神、そこに連なって生きる人生の素晴らしさを、余すことなく伝える使命と誇りを新たにしたい。(馨)
   (聖教新聞 2013-08-24)