逆境とは、自身を光り輝かせるための舞台

2013年12月11日(水)更新:1
・『苦労を知ってくれる人がいるだけで、勇気を得ることができる』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190204


【新・人間革命 若芽 三十九】
 有竹正義は、明るく、のびのびと育っていった。学校が大好きな子になっていた。特に「運動会」や「いもほり大会」の日など、喜び勇んで家を出ていった。
 母親の富美枝は、わが子から、「学校が大好き!」という言葉を聞くたびに、嬉しくて仕方がなかった。“創価小学校に入れてよかった。苦労してきた甲斐があった”と、しみじみと思うのである。
 富美枝は、正義を一、二度、勤務先の会計事務所に連れていったことがあった。正義は、事務所のオフィスコンピューターに数字を打ち込むことに、興味をもった。
 また、母親から、「公認会計士というのは、立派な仕事よ」と、よく聞かされていた。
 一九八四年(昭和五十九年)春、彼は東京創価小学校の第三期生として卒業する。その時、卒業記念アルバムの、「二十一世紀ぼくらの舞台」と題する将来の抱負を記す欄に、「公認会計士」と書いた。公認会計士になって、社会の役に立ちたいとの思いと、母親に楽をさせたいとの強い気持ちがあった。
 中学生になり、公認会計士について話を聞くにつれて、その試験が、いかに難しいものかがわかってきた。しかし、創立者の恩愛に応えるためにも、断じて、自分の抱負を実現しようと、学業に力を注いだ。
 やがて、創価大学経営学部に進んだ。そして、大学三年の九二年(平成四年)、初挑戦で公認会計士試験に合格したのである。夢が現実となった。長い、長い、母の苦闘も、実を結んだのである。
 逆境とは、自身を光り輝かせるための舞台だ。闇が深ければ深いほど、光はまばゆい。
 教職員との懇談で、山本伸一は、自らの信念を吐露するように語った。
 「創価小学校には、経済的に大変な家庭のお子さんだけでなく、体の不自由なお子さんも入学してくるでしょう。その一人ひとりが、最高の人生を歩めるように、強く、大きな心の子どもに育てていってください。何があっても負けない子どもを育むのが創価教育です」
   (聖教新聞 2013-12-05)