強き責任感は、即行動となって現れる。行動のともなわぬ一念はない

2013年12月28日(土)更新:1
・『民衆に奉仕する英才を育てるための学園』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190412


【新・人間革命 若芽 五十三】
 山本伸一は、教育にとって大事なことは、安易に結果を求めるのではなく、物事のプロセスを習得させることにあると思っていた。
 たとえば、言葉の意味を知ることは、教育の大切な目標であるが、単に意味を教えることだけに終わってはならない。児童が、自分で辞書を引けるようになり、調べることの面白さを知ることができてこそ、教育であると、伸一は考えていたのだ。
 また、理科の実験を行った場合、必ずしも教科書通りの結果が出るとは限らない。むしろ、なぜ、教科書と異なる結果が出たのかを探求していくなかにこそ、教育はある。
 児童を結果のみで評価しようとすれば、その評価の基準は、極めて限られ、画一化されたものになってしまう。しかし、プロセスを評価しようという目をもつならば、より多くの可能性を見いだすことができよう。
 伸一は、東京創価小学校をはじめ、創価学園の教師たちは、形式主義を排して、人間を育てるという実質に着目した教育を、実践してほしかったのである。

 伸一の、次の東京創価小学校訪問は、運動会から約一カ月後の十一月二日であった。
 彼は、この日、創価中学・高校の「鳳友祭」に出席する予定であった。その前に、小学校に立ち寄ったのである。
 伸一は、創立者として、一人ひとりの成長への責任を感じていた。いや。子どもたちの人生への責任を感じていたといってよい。その責任感は、”少しでも児童の様子を知りたい”との強い思いとなり、間隙を縫うようにしての訪問となったのだ。
 強き責任感は、即行動となって現れる。行動のともなわぬ一念はない。
 午後一時前、伸一が小学校西側の通用門付近で校長らと話していると、彼の姿を見つけた児童が、「先生!」と言って、外に飛び出してきた。そして、大勢の子どもたちが、次々に「こんにちは!」と、元気な声であいさつしながら集まってきた。
   (聖教新聞 2013-12-23)