随筆 新しき世界は我らの手で 「来る年も 仏法勝負の 広布旅」
2013年12月28日(土)更新:6
【随筆 我らの勝利の大道〈119〉=完 新時代の人材城】
《友に会おう!励まそう!》
この一年
我らは勝ちたり
晴ればれと
常勝創価の
源流なるかな
今も胸に熱く蘇る、忘れ得ぬ光景がある。
昭和二十六年(一九五一年)七月、戸田城聖先生のもと執り行われた、創価学会常住御本尊を奉戴(ほうたい)しての総会の折のことだ。
「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認(したた)めの御本尊の御前(おんまえ)に、先生は、目覚ましい奮闘をした三十数人の代表を招かれた。そして讃えられたのである。
「ここに並ばれた方々は、私が褒めるよりも先に、大聖人様がお褒めになっているに間違いありません。私は、この方々に何も差し上げられないが、大聖人様は、すごいご褒美をくださるでありましょうから、なんの心配もいたしません」
今、私も、全く同じ心で、尊き同志の一人ひとりをねぎらい、感謝し、讃嘆したい。
創価の太陽・婦人部も、黄金柱の壮年部も、敬愛する多宝の友も、皆、本当に、本当によく戦ってくださった。ありがとう!
さらに戸田先生は、総会の最後には、壇上に立った青年たちを紹介しながら、こう言われたのである。
「皆さん、この青年男女諸君に、どうか期待してください。この若者たちが、この大法戦をやり遂げる人びとです。これら青年がいる限り、学会は絶対に盤石であります」と。
以来六十有余年――今、日本中、世界中に膨湃(ほうはい)と躍り出ている地湧の青年の大陣列を、戸田先生はいかばかり、お喜びであろうか。創価の未来は晴れやかだ。
〈不軽菩薩の実践〉
新時代の開幕に呼応し、各地で新リーダーが勇み、指揮を執っている。決意が漲る、皆の息吹が嬉しい。
広宣流布の新たな前進は、どこから始まるか。
それは、リーダーが人と会うことから始まる。
一人また一人と、どんどん会って、語り合っていくことだ。心から友を励ましていくことだ。そこから人材が伸び、波動が広がる。これが鉄則だ。
日蓮大聖人は「今日蓮等の類(たぐい)は不軽なり」(御書七六六ページ)と御断言であられる。
生命の次元からみれば、いかなる人も仏性を具えている。その尊極なる仏の生命を信じて、人びとを敬っていく。誰もがその仏性を必ず開いていけることを信じ、励ましを送り続ける。
この不軽菩薩の実践を現代に展開しているのが学会の運動である。不軽の精神とは人間尊敬の心だ。
リーダーにその心があれば、必ず相手にも伝わる。それぞれの良さや持ち味も分かる。ここを伸ばせば、という部分にも自然と気づくものだ。
私自身、ありがたくも、戸田先生に見出だされ、育てていただいた一人である。ゆえにその報恩の思いで、私は、わが友が秘めている生命の宝をより磨き輝かせるために、全力を注いでいった。誠実に友と接した。温かく包容した。粘り強く関わり続けた。
私は青年部時代、書くことが苦手な友には、あえて会合の感想文を書くことを提案した。数字に弱い人に会計を担ってもらったこともあった。
真剣に祈れば、知恵は必ず出る。それが妙法だ。
人間は、機械ではない。ああ言えば、こう動いて当たり前というものでは決してない。「人生、意気に感ず」というではないか。
まず、こちらの胸中に大情熱が燃えていてこそ、友の心も動くのだ。
現場を歩き回り、駆け巡りながら、どれだけ祈り、考え、悩んで戦ったか。本当に苦労した分だけ、自分の力がつく。力を伸ばした分だけ、成長した分だけ、周囲も触発される。
ここに、希望の方程式がある。
六十年前(一九五三年)の一月、男子部第一部隊長となった私が、出発に際し、班長会で共々に拝した御聖訓がある。
「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書一四五一ページ)
この一節を通し、私は、わが部隊が一年間で部員一千人の結集を成し遂げ、弘教七十五万世帯という師の誓願の達成へ先駆しようと呼びかけたのである。
〈人材拡大の4指針〉
そして、いよいよ一年の総仕上げをする勝負時を、若き盟友たちと、四つの指針を掲げて走り抜いた。
一、御本尊を信じ、自分は折伏の闘士であることを確信しよう。
二、教学に励もう。
三、行動にあたっては、沈着にして強く。
四、学会精神を会得して、自ら広宣流布の人材たらんと自覚しよう。
このうち第一、第二は、「信行学」の実践である。
御書には「法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍が染めるに従って、ますます青くなるようなものである」(一五0五ページ、通解)と仰せである。 この信心は、いついかなる時も、“いよいよ”の生命力で、前へ前へ進み切っていく仏道修行である。
その上で、やみくもに動いても結果は出ない。ゆえに第三の指針を強調した。
実は一千人の目標に対して、十月に入った時点での部員数は六百人余り。頭を抱えていたある班長に私は大確信で語った。
「簡単だよ。一人が一人を連れてくればいいんだ」
それを聞いた友は心軽やかに、再び動き始めた。
今の戦いのホシが何なのかを明確につかむ。その沈着な行動が大切なのだ。
また第四は、大目的を明確にするためであった。
何のために戦うのか。それは広宣流布という大目的のためである。
目的意識がなければ、その中でやり抜いていくことはできない。ロマンがなければ、勇気も湧かない。
私は、皆に訴えた。
――我ら青年、これ新しき世界の創始者である、と。
地域を変え、社会を変え、世界を変えていくのは我々なのだ! やろう、広宣流布は我らの手で!
この心意気で走り抜いた第一部隊は、年末の男子部総会で、見事に一千人の陣列を達成したのである。
時あたかも、学会本部が西神田から信濃町に移転した新時代の節目を、私たちは大勝利で飾ったのだ。
総会翌日、一年の最後の本部幹部会で、戸田先生は烈々と師子吼された。
「仏法は勝負なり!」
絶対勝利の信心を持(たも)った我らは、いかなる悪戦苦闘があろうが、負けじ魂を燃やし、最後は勝つのだ!
〈「世界広布の歌」〉
♪学会健児の謳声(うたごえ)は
七つの海に轟き渡り
若き地湧の天(あま)翔ける
ともに讃えん平和境(きょう)
ああ世界広布の鐘は鳴る
「世界広布新時代」第一回の本部幹部会(本年十一月)では、この学会歌「世界広布の歌」の調べを、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の芸術部によるスーパーサウンズの皆さんが壮麗に奏でてくださった。さらに青年部の友らが大合唱を轟かせてくれた。
この曲の誕生は五十年前(一九六三年)。わが音楽隊初代隊長の作曲である。
今も歌い継がれる歌詞の原案は、群馬から栃木まで広がる地域を部隊に活動していた青年たちが作成してくれたものであった。
メンバーには、進学の夢も断念して、必死に働く友もいた。皆、苦労していた。だが、青年部の誇りを胸に、行学の二道に励み、広布の夢に敢闘していった。
そんな日々の中で、私が「大白蓮華」に発表した、巻頭言「青年よ世界の指導者たれ」を読んだのだ。
そして、そこに綴られた「理想は高く、現実は、あくまでも堅実に、一歩一歩力強く進まなければならない」等の私の呼びかけに、青年たちは懸命に応えようとしてくれたのである。
「世界広布の歌」の歌詞には、その熱き共戦の心が反響している。
彼らは世界を旅したこともなければ、直接、海外と関わる仕事でもなかった。しかし同志と熱く理想を語り合いながら、世界を見つめ、世界を呼吸し、今いる場所から、堂々と誓願の心を広げていったのだ。
「志」は広く世界へ!「行動」は足元の地域から――こうした地湧の勇者たちの志念(しねん)堅固な大前進が、私の最高の喜びである。
〈立正安国の主人公〉
置かれた状況がどうであれ、理想を持ち、向上し続ける人は「世界を変えゆく主人公」となる。これが立正安国の信心だ。
世界広布の内実は、地域広布に他ならない。そこで眼前の一人と仏縁を結び、語り合い、励まし合いながら、自他共の人間革命の波を起こすことなのだ。
その確かな生き方こそ、どんな権威よりも強く気高いことを証明し、その異体同心の団結こそ、いかなる権力にも勝る平和の力となる――この真実を示してきたのが、我ら創価の誉れの歴史なのである。
◇
民衆詩人ホイットマンは快活に叫んだ。
「まだ試みられていない手つがずの未来は、まったく何の差別もなしに、君たちのため、ぼくのため、皆のためにある」
新しい世界、新しい未来を創る主役は誰か?
他ならぬ君であり、貴女だ。我ら民衆なのだ!
〈全員が使命あり!〉
見よ、堂々とそびえゆく創価の新時代の人材城を!
全員が尊き地湧の使命を持った天下の良材(りょうざい)だ!
ゆえに、一人ひとりを尊敬し、「一騎当千」の広宣流布の闘士に育てよう!多くの同志が仲良く力を発揮できる団結をつくろう!
どんな試練も、苦難も、妙法と共に、学会と共に生きゆく我らに、変毒為薬できないものはない。
これからも、共に大勝利の人生、所願満足の人生を飾りゆこう! いやまして朗らかに、「我らの勝利の大道」を進み抜くのだ!
皆、お体を大切に!
心晴れやかに、よいお正月をお迎えください。
来る年も
仏法勝負の
広布旅
※ホイットマンの言葉は『草の葉』 杉木喬・鍋島能弘・酒本雅之訳(岩波書店)。
(聖教新聞 2013-12-27)