悪の因:「軽善」「憎善」「嫉善」「恨善」


【御指導】

●No.1

「ろくろく仏道修行もせず、学会員を見くだす者は当然、たいへんな仏罰を受ける」と、戸田先生はよくおっしゃっていた。(1991-08-09)


「嫉妬」は物を見る目を転倒させてしまう。まことに愚かな、やっかいな感情のようだ。その心のすきまに大魔、天魔が入るのである。(1991-09-20)


本来、宗教は「人を救う」ものである。なぜ、そんなに人を地獄に堕としたがるのか。無慈悲な言動は、それ自体、インチキの証拠であろう。(1991-11-23)


いかに御本尊を持っていても、自分の感情や、名聞名利などから、正法を正しく実践する者を憎んだ場合には、功徳がないばかりか、罰を受けるのである。(1993-04-11)


嫉妬の人間の悪口はつねに自分自身の“悪”と“動揺”を語っているにすぎない。(1990-08-12)


自分の目が回っていれば、見るものすべてが回って見えるだろう。しかも自分では、その転倒に全く気づかない。こうなっては、もう正常な話し合いも不可能である。(同)



どこまで陰険で陰湿な人なのだろう!!



●No.2

妬み深い人間は、つねに動揺している。他の人の動向に一喜一憂しながら、いつも胸中で、あれこれ策をめぐらしている。本当の自身がなく、不安定に、ぐらついている。心の休まる暇がない。その意味で、彼らは不幸である。(1990-08-12)



一体いつまで、たった一人の「妄想嘘っぱち謗法物語」は続くのだろう。ちっぽけな世界に生き続けてるなぁ。くだらない。馬鹿馬鹿しい。