正義の仇打ち

《6月9日更新》

【御指導】
日蓮大聖人は、三位房等の退転者に共通する生命の本質を、次のように指摘されている。
『臆病で、求道心がなく、欲が深く、疑い深い者たち』(P.1191)
これは、自分を守るのに汲々として、広宣流布しようとか、和合僧を広げようとか、そういう思いはなく、貪欲で、猜疑心が強い人間のことである。これまでの、退転、反逆の輩の言動を思い起こしてみれば、だれしも、なるほどと納得できよう。(1991-10-17)

■『始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』(P.1190)
平左衛門じょうは、日蓮大聖人の戒めにも耳をかたむけることはなかった。おごり高ぶる権力者――。いくら立派に見せ、立派なことを言っても、その本質は、民衆利用である。魔性である。(中略)
因果の理法は厳然である。その裁きからは、何人(なんびと)たりとも逃れることはできない。長く見ていけば、必ず結果がでる。(1993-12-16)

■『我が此の一門の中にも申しとをらせ給はざらん人人は・かへりて失あるべし、日蓮をうらみさせ給うな少輔房・能登房を御覧あるべし』(P.1168)
仏法の賞罰は、まことに厳しい。たとえ、かりに世法や正法を欺き、その追及から逃れることができても、仏法律だけは、だれ人もごまかすことはできない。(1988-05-22)


本性を知る人が少ないネット上での好き勝手な暗躍はもうこれまでだ!
誰人の目をごまかせても、御本尊様と師匠、そして諸天だけは絶対にごまかせない!
正義の鉄槌は、これまで先生、学会、同志を欺き続けた(裏切った)者の頭上に厳然と下るのだ!

〈動画〉
・NYCCA 「大丈夫」
――“目的は正義の仇(かたき)打ち”だ!!!!
http://www.youtube.com/watch?v=gp2TNHkLi5k&sns=em