本質は、「見栄」、「臆病」と「私欲」

【御聖訓】
能登房はげんに身かたで候しが・世間のをそろしさと申し・欲と申し・日蓮をすつるのみならず・敵(かたき)となり候ぬ(P.1225)
【御指導】
いつの世でも「反逆者たちは、もっともらしい言辞を弄(ろう)して、みずからの行為を正当化する」ものだ。
しかし大聖人は、その本質を『世間の恐ろしさ』と『欲』、すなわち“見栄”“臆病”と“私欲”である、と喝破されている。この構図は今も変わらないし、その一点さえ鋭く見破ってしまえば何でもない。広宣流布における必然の方程式であると達観していけばよいのである。(1988-05-22)


12月8日更新:2