悪を善に、醜を美に変えていく価値創造の壮絶な戦いが創価の心です

◎ブログ「斧節」を斬る!6
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■●名誉会長─今が「久遠元初」なのです。今が「始まり」なのです。過去は、もうない。未来も、まだない。あるのは、この現在という瞬間だけです。その現在も、あっという間に過去になっていく。有ると言えば有るし、無いと言えば無い。空です。空の状態で、生命は瞬間瞬間、連続していく。「瞬間」以外に、生命の実在はない。瞬間に幸福を感じたり、不幸を感じたりしているのです。
この瞬間の生命を、過去からの因果の「結果」と見たら「本果妙」の考え方になる。ああなって、こうなったから、今、こうなんだ、と。しかし、それだけでは「希望」は生まれない。この瞬間の生命を、未来の結果をつくる「原因」と見るのです。その原因も、生命の奥底に達した『本因』です。表相の原因ではない。
タテに、根を久遠の生命まで下ろし、ヨコに、法界に徹した『本因』です。それが「南無妙法蓮華経」です。宇宙の一切を動かし、生々発展させている「永遠の大生命」であり、大法則です。ゆえに、御本尊を信じ、妙法を唱え、行ずる時、その時はいつも「久遠元初」なのです。
久遠の清らかな、「はたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)」(御書759ページ)の大生命力がわいてくる。現在も未来も、自由自在になっていく。日蓮仏法は「希望の仏法」なのです。
法華経の文底に、この御本尊がしまわれているから、法華経尊いのです。その一点を忘れたら、何にもならない。
●斉藤─いつも「久遠元初」であり、いつも「さあ、これから!」なのですね。
●名誉会長─それが本因妙の仏法の「信心」です。信心とは無限の希望です。たとえ状況がどんなに悪かろうと、すべて負け戦のように見えたとしても、その中から「何くそ!」と思って立ち上がり、妙法の無限の可能性を実証していくのです。それが、信仰の本義ではないだろうか。無から有を生み出していくような、生死をかけた戦いなくして、本当の「信心」はわからない。損を徳に、悪を善に、醜(しゅう)を美に変えていく──価値創造の壮絶な戦いが、「創価」の心です。それが「信心」です。
「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790ページ)です。
〈億劫という、きわめて長遠の時にわたって尽くすべき辛労を、今の一念に尽くして(広宣流布に戦って)いくならば、もともと自分の身に備わっている無作三身の仏の生命が、瞬間瞬間に起こってくるのである〉
ちょっと状況が悪くなったくらいで、へこたれたり、だれかを批判して、自分を防御しようとしたり、そんな卑怯な人間になってはならない。状況が悪ければ悪いほど、団結していくのが、まことの同志です。かりに何ひとつ報いがなかろうとも、広宣流布のために、民衆の幸福の犠牲になる覚悟で、殉じていく。それが「信心」です。
この地球上に、妙法を広宣流布している団体は創価学会しかない。この尊き学会を守り抜くことだ。それ以外に、人類の光はないからです。
(『法華経智慧 第六巻』 池田大作)

【わが友に贈る】
★題目を唱える人に停滞はない。今日も若々しく勝利の人生を開け! ─2008年12月12日─


12月12日更新:2