知能犯の修羅

■徳によって汝が遂げられないことを、汝はへつらいによって獲得するのである。──シルス
■●名誉会長─修羅は「慢」の生命です。「慢」は、七慢・九慢など、いろいろ分類されているが、要は、他人と自分を比べて、自分が優れ他人が劣っていると思いこむ煩悩です。
いわば“自分は素晴らしい”という自己像を抱いている。その自己像を壊さないことに修羅のエネルギーは注がれていくのです。だから人にも「素晴らしい人」だと思われるために、「本心を明かさない」――すなわち「諂(へつら)う」のです。
●遠藤─本心と外見が違っているわけですね。だから、心にもないことを言う。これは三悪道にはなかったことです。かなり知能犯というか、ある意味で、高級になっているわけですね。
●斉藤─確かに、修羅について天台は、内面と外面が違うと述べています。
「常に他人に勝つことを願い、それが叶わなければ、人を見下し、他者を軽んじ、自分だけが偉いとする。それはまるでトンビが高く飛び上がって、下を見おろすようなものである。それでいて外面は、仁・義・礼・智・信という徳を見せようとして、下品の善心をお越し、修羅道を行ずるのである」。
内面では、自分より優れた者の存在を許せない。人を心から尊敬することができない。自分だけが偉いと思っている。「勝他の念」を燃やしている。
しかし外面では、そういう心を、おくびにも出さない。仁・義・礼・智・信を備えた人格者のように振る舞う。そうすることによって、「人格面でも優れている」と人に思わせ、あるいは、自分でも思いこもうとするのかもしれません。
(中略)
●須田─内面と外面が違う。「うそつき」だということが修羅の特徴ですね。
●名誉会長─同志を裏切っていった反逆者は、そういう連中であった。外面(そとづら)に、だまされてはならない。
(『法華経智慧 第四巻』 池田大作)


12月28日更新:1