仏法の絶対的な観点

【御指導】
■みずからの悪が、だんだん明るみに出て、追いつめられた悪侶らは、そこから、なんとか目をそらそう、なんとか自分たちを守ろうと躍起になる。その結果、うそにうそを重ねて、世間を扇動していく。全部、みずからの「邪義を隠すため」なのである。
大うそつき─これこそ「僣聖増上慢」のひとつの特徴である。(1991-11-09)
■どこまでも「信心」が基準である。学問ではない。地位でもない。名誉でも財産でもない。ここに、世間の次元とはまったく異なる仏法の絶対的な観点がある。たとえ、なにがなくとも、正しき信心を貫く人は、必ず永遠の幸福境涯にいたる。たとえ、華やかなものすべてをもっていたとしても、信心なき人はむなしく、暗い境涯である。(1987-10-20)


1月10日更新:2