御用心の御為に申す(114頁)

【御指導】
■もちろん「逃げる自由」もある。しかし、それは小さな自由だ。最後は、何の力もない、ひ弱な自分になり、行き詰まり、最大の不自由の人生になってしまう。 (『池田大作語録 人生の座標』)
■『極楽での百年の修行の功徳は、汚(けが)れた、この国土での一日の修行の功徳に及ばない』(329頁)
苦労のない安楽と安穏のなかで長く修行するよりも、三類の強敵が充満するこの現実社会で、一日でも戦うほうが功徳が大きいのである。
いわんや、何の修行もなく、朝もゆっくり寝て、好きなように食べ、テレビを見、何の苦労もない。人のためには何もしない。そんな勝手気ままなエゴの生き方は、幸福のように見えて、幻にすぎない。内実は空虚である。お金がある。いい服を着ている。いい家に住んでいる。──それらも、ただそれだけのことである。空しく、はかない。死んだら、何も持っていけない。
それに対し、法のため、人のために行動した福徳は、三世永遠に自分のものである。全宇宙の宝をわが生命にもつことができる。(1994-11-12)
■戸田先生はよく言われました。
「妙法の功徳は絶対である。率先して信行学に励んで、あの人があれほど立派になったかと言われるようになってほしい」「一人も残らず功徳を受け、その大歓喜をもって、人類の幸福のために尽くしてもらいたい。これが私の願いである」と。
仏法は「煩悩即菩提」であり、「変毒為薬」です。題目の師子吼で、悩みも病魔も全部、吹き飛ばしていくのです。大事な節目のこの一年、わが創価家族が皆、大きく諸天善神を動かし、人生の勝利の実証を断固と示しゆかれることを、私と妻も真剣に祈り、題目を送り続けます。
どうか健康第一で、風邪などひかれませんように!
「毎日が元旦」の決心で、久遠元初の旭日がのぼりゆくごとく、生命力を満々と漲らせながら、いよいよ喜び勇んで、勝ち光っていこうではありませんか! (聖教新聞 2011-01-09)

5月31日更新:3