教育の根源は師弟にあり!師の闘争に学び、師に続け

2011年11月15日(火)更新:5
【11・18 創立記念日特集 第1回 教育のための社会を】
創価の運動について 原田会長に聞く〉
──ずばり、創価学会の目指すものは何でしょうか。
広宣流布であり、世界平和です。その根本の道は、池田先生が示されている通り、人間革命です。一人一人が主体者となり、地域の人々とかかわり、社会の繁栄のために尽くしていくことです。
地球には70億という人々が暮らしていますが、国や文化も違うそれらの人々と力を合わせて、不幸や悲惨のない世界をつくりたい。それを誰よりも真剣に考え、手を打たれてきたのが池田先生です。
1974年の第1次訪中の折、印象的な出来事がありました。
準備に当たっていた私たちスタッフは、中国の首脳に、学会が進める一大民衆運動の広がり、広宣流布運動の普遍性を、どう伝えたらいいか、苦慮しておりました。その時、先生は「広宣流布とは、仏法を基調とした平和・文化・教育の運動だ」と、わかりやすく教えてくださったのです。
宗教は、あくまで人間の幸福のためにあります。ゆえに広宣流布といっても、一人一人が幸福の道を歩めるようにしていくことが根本。人間が焦点です。そのことを深く思索され、池田先生は「平和・文化・教育」と表現されたのです。

──池田名誉会長は文化を民衆の手に取り戻したいと、常々語られています。まさに、民衆が根本です。
文化は、人々の心を潤します。創造性を花開かせる。精神を輝かせ、豊かにします。
何よりも、文化こそ戦争から平和へと人々を結び、社会を変えていく力となります。
先生が民主音楽協会(民音)、東洋哲学研究所といった文化・学術機関を構想されたのが、長兄を亡くされたビルマ(現ミャンマー)からタイへ向かう際であったのも、そのような思いがあったからではないでしょうか。先生の思いを受けて出発した民音は、その後、世界一流の芸術を紹介してきました。象徴的なのは81年、民音がオペラの至宝「ミラノ・スカラ座」を招へいしたことです。
これは、スカラ座のバディーニ総裁が「池田氏の力がなければ、実現しなかったでしょう」と明言している通り、先生が友情を結ばれた結果でした。
先生は、自らが先頭に立って、文化交流の道なき道を切り開いてこられたのです。

──教育界にあっても名誉会長は、牧口初代会長、戸田第2代会長の悲願であった創価教育を実践する学校を創立されました。
そうです。ただ池田先生の行われる教育とは、学校という枠だけにとらわれるものではありません。教育にあっても、「民衆」という視点があります。
第2代会長の戸田先生も「創価学会は、校舎なき総合大学である」と断言されていた。学会そのものが「学ぶ会」、いわば教育の団体なのです。
例えば、先生は日頃から、ゲーテトルストイなど、古今東西の偉人の言葉や生涯を通して、人間の生き方を教えてくださいます。そうやって、学校教育を超え、世界の民衆を育成されています。

──池田名誉会長のダイナミックな行動の源泉は何でしょうか。
それは「師弟」の一言に尽きます。
教育者であった牧口初代会長は戦時下にあって、「教育のための社会を」と望まれた。戸田先生は、「安穏な、平和な文化国家をつくろう」と言われていました。
師弟に生き抜くからこそ、その実現のために、池田先生は心血を注がれたのです。
池田先生は以前、戸田先生に師事してきた10年間を、本当に懐かしそうに振り返り、こう言われました。
「私は、戸田先生が示された構想は、全部、実現してきた。先生が冗談のように言われたことまで、ことごとく現実のものとした。だから先生は、私の前では冗談すら言われなくなったんだ」と。
峻厳な師弟の道に、襟を正す思いでした。

──最近は、師弟が無くても生きていけるという人もいますが。
そうかもしれません。しかし、たとえ功成り名を遂げたとしても、師のない人生はさびしい。そもそも、師弟が人間向上の根本であることは、何も仏法の世界に限りません。
昨年、ノーベル化学賞を受賞した根岸英一氏には師と仰ぐ学者がいたことは有名です。
芸術や武術やスポーツなど、道を究めようと思うなら、師匠の存在は不可欠です。
先ほど、教育の話が出ましたが、教育とは師から学ぶこと、つまり「師弟が根源」と言えるでしょう。
平和の道、幸福の道を教えてくださる師匠・池田先生の生き方、思想に学び、自ら実践していく。その同志は全世界にいます。
今こそ、創価の師弟に生き抜く私たちが、それぞれの地域で平和・文化・教育の運動をさらに展開し、希望と幸福のスクラムを広げていく時です。 (聖教新聞 2011-11-15)