「教育大国」に欧州の第一歩

2011年11月25日(金)更新:1
【欧州広布50周年特集 デンマーク
●美しく落ち着いた街並みを見つめながら、SGI会長は、“地湧の菩薩の出現”を祈り続けていた。
道中、一軒の店に入った。
「苦労を分かち合ってくれた同志のことを、決して、忘れるわけにはいかないんだ」
日本の同志に贈る、記念の品を購入するためである。
ホテルに着いてからも、SGI会長は、20数通の葉書に、激励の言葉を認(したた)めていった──。
●欧州訪問の第一歩がデンマークとなったこと。そこにSGI会長は、一つの深い意義を感じ取っていた。
デンマークは、牧口初代会長、戸田第2代会長が深く敬愛してやまなかった「人間教育の大国」だったからである。
『創造教育学体系』の緒言(序文)のなかで、牧口初代会長は、「近代デンマーク精神の父」と言われる教育者ニコライ・グルントヴィと、弟子クリステン・コルの教育理念に触れている。
「民衆に開かれた教育」の実現に奔走したグルントヴィとコル。
師の構想を継承したコルは、民衆のための学府「国民高等学校」(フォルケホイスコーレ)の建設を実現。「教育大国」デンマークの精神の礎を築いた。
その師弟の姿に、牧口会長は、自身と戸田第2代会長を重ね、「創価教育学の前途に一点の光明を認めた」と記したのである。
SGI会長は、小説『新・人間革命』に綴った。
コペンハーゲンの街を車窓からながめながら、自分もコルのように、先師牧口常三郎、恩師戸田城聖の教育の理想を受け継ぎ、一刻も早く、創価教育を実現する学校を、設立しなければならないと思った」
この誓いから7年後、創価学園(中学・高校)が東京の小平市に開校。創価教育の大城は今や、幼稚園から大学院まで、世界7ヵ国にそびえ立つまでになった。
●「デンマークの伝統的なフォルケホイスコーレとSGIは深い共通性をもっています」
創立140年以上の伝統をもつ名門校「アスコー国民高等学校」のヘニングセン博士(元校長)は語る。
博士がSGI会長と出会ったのは、2000年9月。のちに、SGI会長とともに対談集『明日をつくる“教育の聖業”』(潮出版社)を発刊した。
そのなかで、世界平和を開く鍵こそ、「教育」と「対話」であると一致した両者。
博士は「池田会長は世界のさまざまな思想・価値と強調できる勇気と智慧をもった希有のリーダーであり、グルントヴィと牧口会長の二人の思想を、池田会長が世界的規模で見事に発展させておられる」と、変わらぬ信頼を寄せている。
●また2009年3月には、デンマーク・南大学が第1号の名誉博士号をSGI会長に授与。ラスムセン総長は「池田博士の行動にグルントヴィ、アンデルセンキルケゴールという(デンマークの)偉大な哲学者の価値観が生きている」と深い共鳴を伝えている。
●1968年6月、来日していたモラーさんは、東京で男子部の集いに参加した。
「慣れない日本の会合で、緊張している私に、声をかけてくださる方がいました。池田先生でした。
先生の声は温かかった。固く握手を交わしてくださいました」
その感激を胸に、北欧の大地に、地道に妙法の種を植えてきた。
「あの出会い以来、常に私の心は、池田先生で満ちあふれています。“先生だったら、どう行動されるか、どう励まされるか”。それは、私を鼓舞する重要な問いかけです」
婦人部長を務めるセシリエ・エンゲン・ウィントンさんは、聡明で、明るい、太陽のようなリーダー。
そんなウィントンさんも、信仰を始めるまでは「自分に全く自信がなかった」という。入会して6年目に、大きなターニングポイント(分岐点)が訪れた。
1989年、イギリスのタプロー・コート総合文化センターでの集いで、ウィントンさんは、体験発表を行った。人前で話すことは大の苦手だったが、題目で緊張を乗り越え、堂々とスピーチすることができた。
その直後、会場にSGI会長が姿を現した。一人一人に分け入るように励ます。ウィントンさんは「その生命力の豊かさに圧倒されてしまった」という。この出会いから、ウィントンさんの信仰に対する姿勢が変わった。
「“目標に向けて、どう行動すべきか”と知恵を絞り、決めたらすぐに行動する自分になりました。その源泉は、師弟不二の心にほかなりません」
●「対話」を重視し、互いの体験や活動報告に耳を傾けながら、エールを送り合う。その納得と励ましの語らいに、理解の輪が広がっている。
かつてSGI会長は語った。
「仏法は、幸福の実現とは生命の開発──すなわち、本来そなわる無限の可能性を引き出すことであると捉えます。その意味で、人間教育と仏法は表裏一体なのです」と。
平和・文化・教育運動を通して、仏法の生命尊厳と人間主義の哲学を広げゆくSGI
この軌道の正しさを証明していくべき縁(えにし)の人々こそ、「教育大国」デンマークの同志たちなのである。(聖教新聞 2011-11-23)