平和のために「他者への尊敬」を

2011年11月28日(月)更新:2
【World Perspectives 世界の論調 クイーンズ大学 ベルファスト グレッグソン学長】
出会いから、2年半――。平和へのいばらの道を乗り越えてきた北アイルランドの中心都市ベルファストに位置するイギリスの名門学府、クイーンズ大学のピーター・グレッグソン学長から、池田SGI創価学会インタナショナル)会長との語らいの思い出と、永続的な平和構築への期待の声が、本紙に届けられました。そこには、会長への変わらぬ信頼と思想の共鳴が脈打っています。

忘れ得ぬ名誉博士号授与式の出会い
クイーンズ大学から池田会長への名誉博士号授与式の式典は、2009年5月、創価大学で挙行された。式典に先立って、2人の間に語らいのひとときがもたれた〉
──池田SGI会長と歓談され、どのような印象を持たれましたか。
グレッグソン学長─池田大作博士は、私たちとの交流に大きな関心を寄せてくださり、北アイルランドが平和を維持するために乗り越えてきた困難を理解してくださいました。また、ジョージ・バーナード・ショーなどアイルランドを代表する人物への洞察を通して、博士が詩や散文に寄せる情熱をうかがい知ることができました。
池田博士の詩をいくつか読ませていただいて感銘を受けたのは、歌にもなっている「母」に代表される思想の簡明さです。
博士は国際的に高く評価された指導者であり、平和の懸け橋です。生涯にわたり、教育のため、また、一人一人の可能性を引き出すために献身されてきたお姿は、博士が世界の指導者である証しです。
私は、博士の心の広さ、幅広い知恵、またクイーンズ大学創価大学との間に平和・友好の絆を築こうとされる強い熱意に胸を打たれました。

──創価大学について、どのような印象をもたれましたか。
学長─創価大学のように素晴らしく、また触発を与えてくれる教育機関を訪問できたことは、私たちにとって光栄であり大きな喜びでした。
師弟の絆の強さを感じ、その絆は、一人一人の成長に焦点を当てることによって育まれており、博士のおっしゃる「戸田大学」で師から受けた一対一の教育に対する博士の永遠の恩義が、ここに映し出されているように思いました。
また、博士が創立された創価学園でも、創価大学においても、学生たちが示す師の構想への理解の深さに心を打たれました。学生たちの誇りは、有能な世界市民に育てとの、創立者のビジョンを実現することにある──これは私たちが訪れた全ての教育機関においてはっきりと感じられました。
(中略)
流血の北アイルランド紛争を越えて
〈近年、流血の紛争が繰り返されてきた北アイルランド。学長は、平和のためには、「他者への尊敬」という普遍的な価値の重要性を強調する〉
──世界の安定的な平和、そして持続的な発展のために、何が一番必要であるとお考えですか。そのなかで果たすべき宗教の役割・責任とはどのようなものでしょうか。
学長─世界秩序の発展においては、人類の切望する平和と結束が可能であると信じることが極めて重要だと思います。人類の普遍的な価値である他者への尊敬に根ざした心通うコミュニケーションを進める宗教が、責任ある宗教たりえます。他者を受け入れる宗教には、憎しみを排斥し、平和と友好を促進する普遍的なメッセージがあります。
創価学会は、平和を思い他者を敬うという世界主義的な価値に基づき、皆が世界市民として生きてゆくための大きな役割と責任を担っております。創価学会はまた、平和、持続可能性、人権、教育についての理念を培ってきました。
池田博士は、生命の哲学をもち、精神的な成長を遂げることが、人類を豊かにするということを、常に強調してこられました。
──池田会長は、長年にわたり、文明間、宗教間の対話を世界に広げてきました。
学長─池田博士は、常に対話の力に焦点を当て、冷戦時代にも平和の土台を築き、国家や文化の差異を越えて、共感と理解の橋を懸けてこられました。これは、SGIの世界的な民衆運動においても明らかです。
──SGIが世界へと大きく発展してきた要因は、どこにあるとお考えですか。今後の世界のために、SGIにどのように期待されますか。
学長─SGIは、一人一人の可能性を引き出し、価値を創造するという普遍的な理念のもと、平和、文化、教育にわたる草の根の運動を通して、民衆が主役となり発展してきました。今後も、民衆の側に立ち、民衆の幸福と成長を第一とする組織であっていただきたいと思います。
歴史を見ると、民衆を守る側に立つ人々が常に弾圧を受けています。池田博士もその例外ではありません。多くの人々が無力感に陥る世の中にあって、一人の人間のなかに力を見いだす池田博士の信念は、ビジョンをもった指導者としての偉大さを証明するものです。
より良い未来を建設しようとするとき、博士の生涯は、私たち人類に示唆を与えてくれます。 (聖教新聞 2011-11-27)