わが友に贈る・寸鉄 他

2011年12月18日(日)更新:8
【わが友に贈る】
●「父母の恩を報ぜよ」
 仏法は親孝行の法。
 笑顔で感謝を!
 元気な声を伝えよ!
 真心が最高の贈り物だ。 (聖教新聞 2011-12-18)
●友の幸福を祈る 強き一念は 必ず伝わる!
 希望の大哲学を 勇気で語り抜け! (同 2010-12-18)

寸鉄
●一人を徹して大切にする池田博士は理想の指導者―学長(フィリピン)。人道世紀の太陽
●日本の国連加盟記念日。人類の議会の強化が平和の直道。民衆の声を結集
折伏を行ずる人に強靱な生命力と無量の大福運が―恩師。自他共の勝鬨
●「恐れてはならぬ。頭(こうべ)を高くあげるのだ」巴金(ぱきん)。青年を先頭に明年へ躍進
●水道管の耐震化、全国でいまだ31%。万全の備えが生活守る。教訓生かせ (聖教新聞 2011-12-18、以下同)

【中国青年代表団が沖縄へ】
●「池田名誉会長の平和への思いに強く共感しました」
●「中日国交正常化40周年へ友好を深める意義深い訪問となりました」

【埼玉坂戸の集い 原田会長が出席】
●青年を先頭に勝利の扉を開こう
●大誠実の振る舞いで絆を結び、幾重にも学会理解の輪を広げよう

【対話の花咲く座談会】
●語り合えば希望がわく!対話の花が咲く!
●題目根本、御書根本で歴史を創ります
●「師との共戦の心を燃やし、明年の自身の勝利へ助走を開始しよう」

【婦人部がコスモスセミナー】
●子と自身をありのままに受け入れ、親が“大安心”の境涯を開くこと

【世界の論調 命の炎を燃え上がらせた妻は「勝利の人生」です 松本サリン事件被害者 河野義行さん】
〈公判終結に感慨なし 恨み続ける道は選ばず〉
●恨む行為に何かいいことがありますか?それで、亡くなった人が戻ってくるとか、病気がよくなればいいけど、何もないわけでしょう。いいものは何も生産されない。だから、私はさっさと気持ちを切り替えたということです。もし恨むのであれば、事件を起こした犯人も、私を犯人視し苦しめた警察やマスコミも同じじゃないですか。でも、どことも仲良くやっているわけです。(河野さん)
●池田名誉会長は1998年6月、第23回本部幹部会でのスピーチで河野さんとその著作について次のように言及している。
 ◇
 このたび、潮出版社から、河野義行氏の『妻よ!』が出版された。氏は、こう記しておられる。「94年6月27日深夜、毒ガス兵器サリンが、突然、わが家を襲った。(中略)私たち家族は、『殺人者とその家族』のレッテルをマスコミに貼られ、冤罪の歯車に巻き込まれていった。どんなに抵抗し無実を叫んでも、巨大な力の前には無力であった。事件当時、多くの市民は私や家族に対して社会的な制裁を加えた」。本当に、ひどい国である。日本は人権の面では、まさに“未開の野蛮国”である

〈まず臨終のことを学べ 仏教の教えに共感〉
●命というのは、そこにあるだけで、ものすごく大きな力となり、尊い働きをするということを学びました(河野さん)
●長女が「お父さん、この弔電、心に染みるよね」と言ったのです。誰からなのかと手にとってみたら、池田名誉会長からの電報でした。
 《弔電には、「突然の悲劇にも負けず、尊き命の炎を燃え上がらせ、最愛のご主人様と共に生き抜かれた崇高なご生涯は、偉大な勝利の人生であられました」(抜粋)としたためてあった》
 池田名誉会長は「勝利の人生」という言葉を使ってくださった。私たち家族にぴったりの励ましの弔電でした。(河野さん)
●著書『命あるかぎり』で、「まず臨終のことを学んでからほかのことを学ぶべきである、という教えが仏教にあるようだが、私はこの考え方に共感する」と記されています。
●長年、介護をしてきた経験から、意識不明のような重篤な状態になった時に、それを元に戻す労力は半端ではありません。消えかかった命を救うには、時間もかかるしお金もかかる、大変なことです。そういう命だから、粗末にしてほしくないという思いが強いのです。(河野さん)

【聖教歌壇】
●さまざまな角度から撮る孫の顔どこから見ても我に似てをり

【諦めず寄り添う心 ハローワーク気仙沼の就職支援ナビゲーター 三浦さん】
●「俺……社会に必要ない人間なのかなぁ……」
 嗚咽が漏れた。
 「そんなことありません!諦めなければ、花開く時が必ず来ますよ」
●「応募しなかったら、駄目も何もないですよ。駄目は駄目じゃない。次への過程です」
 「過程……?」
 「そうです。チャレンジしないことが本当の敗北なんです。とにかく、アクション起こしましょ」
●“これが、創価学会の師弟の世界か!”
 創価の三代に貫かれた師弟の道。読むほどに、山本伸一青年と自らを重ね合わせ、求道心をみなぎらせた。
 仕事で疲れた体でも、“先生なら……”と思えば、休んでなどいられない。祈りに祈り、動きに動いた。充実感があり、躍動感があった。
●名誉会長が出席した本部幹部会で表彰され、壇上へ。そこには、胸に手を当て、温かく見つめる師の姿が。心臓の鼓動が聞こえるほど、緊張した。
 師の眼差しに誓ったことは、部員の“幸福責任者”として、全力疾走するということ。その誓いのまま、広布に駆けた。
 そして、「3・11」の時を迎える。
●無力感から立ち上がれたのは、師匠の存在があったから。
 「君たちの懸命な体験を聞いて、私は泣いた。慟哭した」
 それは、本紙の体験談で読んだ名誉会長のメッセージ。男泣きに泣いた。あの日の眼差しが、よみがえる。
 “応えたい……”
●「御本尊に、お任せしよう」
●「若いから失敗を恐れずに、体当たりした方がいいですよ。面接、祈ってますから」
●「私たち、どうなるんだべ?」と泣きながら部屋を出た婦人と、外で話したこともある。
 “幸福責任者”として広布に走った青春時代。あの日々は、今のための薫陶ではなかったか――と、思う時がある。
 今こそ気仙沼の“幸福責任者”として、求職者と共に生きよう。悩もう。前進しよう。そして必ず、震災を乗り越えてみせる。
 「それが、信心で培った、俺の生き方ですから――」

【わが友に贈る】
 「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」
 仕事で苦闘する友を 大聖人は御照覧!
 君よ断じて負けるな。 ―2009年12月18日―