その人のために悪を取り除く者はその人にとっては親である(p236通解

2012年1月9日(月)更新:1
・斧節『多造教団堅固〜 日蓮をゼロから捉え直せ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111229/
●そもそも法華経の宝塔品を拝見すると、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まられたのは、何のためであろうか。「法を久しく存続させるために、ここにやって来た」とある。この三仏が未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子たちに与えようとされた御心(みこころ)のうちを推察すると、わが子が大きな苦しみにあっているのを見る父母よりも、何としてでも救わずにはおかないとの思いが強く盛んであったと思われる。
それなのに、法念は、その切実な思いをいたわしいとも思わないで、末法には法華経の門をかたく閉じて、人を入れさせまいとせき止め、判断の狂った子をだまして宝を捨てさせるように、法華経をなげ捨てさせたのである。この法念の心こそ、恥知らずに思える。
自身の父母を人が殺そうとしているのに、そのことを父母に教えないでおられようか。悪にそまった子が、酔って狂って父母を殺そうとしているのを、制止しないでおられようか。悪人が寺塔に火を放とうとしているのに、制止しないでおられようか。わが子が重病にかかっているのに、お灸の治療をしないでおられようか。
日本の禅と念仏者とを見て制止しない者は、このようなものである。「慈悲がなくて、いつわって親しくするのは、すなわち、その人にとって敵である」と。日蓮は日本国の諸の人にとって、主であり、師であり、父母である。 (開目抄236ページ、通解)

>>イデオロギーに染まる人物は「自我の空白」を抱えていると見てよい。(小野さん)
●伸一は、首相からイデオロギーを尋ねられると、即座に「平和・文化・教育主義であり、その根底は人間主義」と回答。 (「今週のラジオ『新・人間革命』」 聖教新聞 2012-01-08)