青年は、正義の批判力を手放してはならない

2012年1月27日(金)更新:3
【名字の言】
 企業の不祥事、重大な事故。それらが起きた後には、問題を傍観してきた関係者が、しばしば非難される
 だが、そうした報道に接して「けしからん」と怒るだけでは生産的とはいえない。「見て見ぬふり」は、人間に本来備わる特質から来ており、その意味で、自分自身の問題だからだ
 「選択的知覚」という言葉がある。人間は、情報をそのまま受け取るのではなく、自身の信条・関心・経験に添うものだけを都合よく選択して認識する。「見たくない」ものは「見えない」のだ。あらゆる組織が馴れ合い、先送り、事なかれ主義と無縁でない理由がここにある
 問題はあるが、取りあえず組織は動いている。問題を指摘すると孤立するかもしれないし、人間関係など、自分の生活にストレスがかかる。そうして重大な問題も見過ごされ、限界点で“破裂”するわけだ
 池田名誉会長は新連載「若き君へ――新時代の主役に語る」で「青年は、正義の批判力を手放してはならない」と励ました。批判力は、わがままや蛮勇とは違う。仏法の生命論に学び、万般の知識を求め、その基盤の上に正論を述べ、組織や社会を良くしていこうとする勇気のことだ。そうした青年を育てたい。何より自身が「青年」であり続けたい。 (聖教新聞 2012-01-27)