師の究極の勇気をかがみとして、不屈の心光る桜花の季節を目指したい

2012年3月24日(土)更新:4
【名字の言】
 日蓮大聖人が流罪の地・佐渡で「開目抄」を著されたのは、文永9年(1272年)の2月。今の暦の3月に当たる
 絶海の孤島、厳冬の日々……。その苦境をしのぎ、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)――諸天の守りを当てにせず、身命をなげうってまい進するのみ、と。春の息吹とともに発せられた、広布大願の大宣言と拝せよう
 ナチスに追われ米国に移住した神学者パウルティリッヒは「絶望する勇気」を説いた。苦難を見つめ、逃げず、“出口なし”の状況をしっかり受け止めること。「絶望を受け容れるということそれ自体が〈信仰〉であり、そしてそれと同時に生きる勇気がそのぎりぎりの限界においてあらわれ出る」(大木英夫訳『生きる勇気』平凡社)からだ
 日蓮大聖人の被られた迫害を思うほどに、獄中における戸田会長の覚悟が心に響く。「最初は、いつ牢獄から出られるかを問題にして、あくせくしていたが、やがて、一生出られないと分かってきた」「たとえ出られなくともかまわない。一生涯、戦い通してみせると、死ぬまで覚悟することだ。そうすれば強い」
 師の究極の勇気をかがみとして、不屈の心光る桜花の季節を目指したい。 (聖教新聞 2012-03-21)