わが友に贈る・寸鉄・名誉会長と綴る共戦譜 他

2012年4月5日(木)更新:4
【わが友に贈る】
 会場提供者の皆様に 福徳は燦然と輝く!
 地域に希望を広げる 尊き広布の宝城だ。
 心からの感謝を! (聖教新聞 2012-04-05、以下同)

寸鉄
●ブラジル南米都市からSGI会長に名誉市民証。「世界に人道の種を植え、慈愛の力で育む」
支部・地区の統監部長の功労に感謝。広布の生命線を守り抜く功徳は無量
●震災後、社会の結びつきを8割が重視と。学会の励まし運動こそ連帯の要
●「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前」。偉大な智慧と生命力を強盛な祈りで
●政治の腐敗は青年の責任―恩師。立正安国の精神胸に!鋭い批判力で監視

【希望のSGI(7)広布の大河の一滴に インド創価学会副議長 ハルディヤル・シャルマさん】
●先生の展開されるガンジー、そしてタゴールの思想への洞察はとても高く評価されています。
 先生のスピーチを読んだ私の友人の一人も「偉大な人にこそ、偉大な人が理解できるんだね」と言っていました。
●「私たちは久遠からの兄弟姉妹です」
 「ガンジスも一滴から始まる。皆さんも、その一滴との自覚で進んでもらいたい」
 そう励まされる池田先生の眼、顔。全てを包み込んでくださる姿。

【民衆の歌声 名誉会長と綴る共戦譜(8)中国方面 終生忘ることはなし】
●歌詞の後には「昭和五十三年 七月二十二日夜 米子文化会館にて 此の歌を発表 時に螢二万匹飛ぶ 此の時の姿の絵巻は 終生忘ることはなし 重ねて中国の友の 無事安穏と 生々世々の幸ある 信心の旅を 祈り願うなり 友の願により 題名を 地湧の讃歌となる」と
●7月に発表された中国方面の歌「地湧の讃歌」は、完成に至る歴史そのものが「詩」であった。
 会長辞任の9ヶ月前。宗門による師弟離間の陰謀が吹き荒れるなか生まれ、広布の厳しい試練の冬にも中国の同志を護り続けた「地湧の讃歌」。
●“大山(だいせん)のごとく、何があっても厳然たる信念の人間として生き抜け!”等と、折に触れ、中国の友を励ましてきた。
●夕刻、名誉会長は米子文化会館に到着した。5年ぶりの来県である。
 鳥取は第1次宗門事件の“震源”の一つであった。
 訪問前の77年(昭和52年)秋ころから、倉吉の坊主が公然と学会批判を始めた。広布の組織を分断しようとする悪侶に、同志は歯を食いしばり耐えていた。
 78年は例年に増しての猛暑。体調を案じた周囲が「もっと良い時期を選ばれては」と制したが、名誉会長は「今、必死で鳥取が戦っているのだ。今、行かなくて、いつ行くのだ」と、山光へ足を延ばすことを決断したのだった。
●「私利私欲で学会員をだまそうとする宗門の“魔の手”から、先生は一人一人を抱きかかえるように護ってくださった。その深いお心を知ったのは、翌年の4月24日でした。」熊谷中国総合長が振り返る。
 命を削って同志を護る名誉会長の姿に接した中国の友の信心は、79年(昭和54年)4月24日の会長辞任の報を聞いても、「大山」の如く揺るがなかった。

【新・人間革命 薫風 五十八】
●伸一は、広宣流布という未聞の道を切り開くには、会長である自分が、捨て身になって戦わなければならないと心に決め、動きに動き、語りに語り、書きに書き、祈りに祈ってきた。会長就任から十七年、毎日、毎日が、死身弘法の敢闘であった。
 それがあってこそ、末法広宣流布という茨の道を、開き続けることができたのである。

【きょうの発心】
通解  師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。 (華果成就御書、900ページ・編1098ページ)
●よい弟子を持つかどうかで師弟の仏果が決まると、師弟不二の精神を教えられています。