人間は人間の中で磨かれる

2012年4月27日(金)更新:4
・斧節『JR東労組による集団いじめ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120427/
>>組織に所属するということは、組織の支持に従うことを意味する。このため、あらゆる集団が奴隷を求め、すべての組織がロボットを育てる。(小野さん)

【御金言】
●この経文(宝塔品)の心は眼前に明らかである。青空に太陽の輝いているごとく、白顔にほくろのあるように明々白々である。しかし、生盲の者と、邪眼の者と一眼のものと自分の邪師の教えのみ主張するものと、かたよった教えに執着するような者は、この明らかな事実すら見違えるであろう。(御書218ページ、通解)

【新会員のために Q&A〈1〉 学会の「組織」について】
 「組織」という言葉には、個人の自由がなくなり、束縛されるイメージを抱くかもしれません。しかし、私たちは、日常生活でも、一番身近で小さな組織単位の家族をはじめ、学校や会社、サークル、地域のコミュニティーなど、さまざまな「組織」に所属しています。
 組織とは、人と人が互いに織りなして存在するものであり、私たちの人生は、人との関わりなくして成り立ちません。
 学会の同志との関わりを避け、一人だけで信心を行うと、いつしか“自己流”になり、正しい仏法実践の在り方から外れてしまいます。結果的には、信心を持続することが困難になります。
 日蓮大聖人は「仏になるみちは善知識にはすぎず」(御書1468ページ)と説かれています。「善知識」とは、仏法を実践する人の成仏をもたらす存在であり、友の成長を願い、励ましを送る学会の先輩や同志に当たります。
 出身も肩書も性格も異なる、多様な人たちとの出会いや対話を通して、人間性が磨かれていく。ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないように、人間も人間の中でしか磨かれません。
 また、友の悩みに耳を傾け、勇気と希望を与え、励ましていく対話運動こそが、学会活動の基本といえます。御書に「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)とあります。
 組織の中で同志と共に取り組む仏法対話や訪問激励は、友の仏性(無限の可能性)を信じ、それを開くための行動です。そうした挑戦を通して、自分自身の仏性も開かれ、一人の人間として成長していけるのです。
 池田先生は、「励まし合いながら、ともに人生を生き、ともに仏道修行をしていく。そういう人間と人間の絆のなかにこそ、仏法は躍動している」と指導されています。
 勤行・唱題や教学の研さんなど、個人としての実践に励むとともに、民衆救済の魂が脈打つ学会の組織で活動することが、自身を大きく成長させていく近道なのです。 (聖教新聞 2012-01-09)