身勝手な詭弁

2012年7月18日(水)更新:1
・斧節『19歳娘の余命、客から知らされた女性…勝訴』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120713/
●世間の道理でも、重き恩に対しては命を捨てて報いるものである。また、主君のために命を捨てる人は少ないように思われるけれども、その数は多い。男は名誉のために命を捨て、女は男のために命を捨てる。
 魚は、命を惜しむため、すみかとしている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲(す)んでいる。しかし、餌にだまされて、釣り針を呑んでしまう。鳥は、すみかとしている木が低いことを恐れて、木の上の枝に棲んでいる。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう。
 人もまた、これと同じである。世間の浅いことのために命を失うことはあっても、大事な仏法のためには身命を捨てることが難しい。それゆえ、仏になる人もいないのである。 (御書956ページ、通解)
●浅い価値観あるいは自身の感情に基づいて自ら命を捨ててしまうことも少なくないと指摘されています。 (「御書池田大学運動のために 佐渡御書(1)」 聖教新聞 2012-07-17、以下も)
●目先の欲望に動かされたり、狭い考えから判断を誤ったりして、結局、身を滅ぼしてしまうことを教えられています。


・斧節『善無畏三蔵抄』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20060506/
あなたの御文の読み方は、低劣な難癖です!冒頭で御文を引用しながら、座談会記事を「軟語」だと言い張る小野さん自身が「軟語」になっている。自己保身の身勝手な解釈というほかありません!
「仏法は摂受・折伏時によるべし」(御書957ページ)。座談会記事は時に適った実践です。私は、紙上座談会の重要性、必要性がよくわかります。
「蚊(か)蚋(あぶ)蝦蟆(がま)の法師なり」(御書1162ページ)と同じページに、「釈尊も、同じように厳しく経文で言っておられるのだから、それでよいのだ」(通解)と大聖人は書いておられます。
「悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや」(御書21ページ)。学会は「御書根本」だからこそ、世界192ヵ国・地域にまで広がったのです!
また、『学会員に不信を与える結果になることを私は恐れる』、『大慢のものは敵に随う』(小野さん)などと言っておきながら、平然と『矢野氏が本を出した途端に沈黙を保ってやがる。まったくもって笑止千万だ。叩いたり引っ込めたり、ご苦労なこって』(小野さん)と無節操な放言をしている。
先生の御指導・御文を挙げて一見立派そうなことを言っていたのも見せかけで、のちに、手のひらを返したように、矢野に迎合した記事や週刊誌等のデマ、学会への誹謗中傷記事を何度も更新している。敵に随う「大慢のもの」(御書287ページ)は、まさにあなたじゃないですか!

●夫(そ)れ老狐(ろうこ)は塚をあとにせず白亀(はくき)は毛宝(もうほう)が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫(人倫)をや (御書293ページ)

知恩、報恩が人間の道です。大恩ある先生(学会)への感謝も忘れ、御書に違背し、信念もなく姑息に立ち回る。それこそ、恩を仇で返す大慢の裏切り行為です!