「実践の教学」が学会の伝統

2012年9月14日(金)更新:1
寸鉄
●「根無き草はひさしからず」。学会は御書根本で隆盛。違背宗門は立ち枯れ
   (聖教新聞 2012-09-13、以下も)


【師弟の大道を歩む 新しい力で時代を開け!(62) 「開拓」「勇気」「連帯」の力で勝利を 「実践の教学」が学会の伝統】
〈大難に不動の信心〉
棚野 9月12日は、日蓮大聖人が竜の口の法難に遭われた日(1271年〈文永8年〉)に当たります。同時にこの日は、学会の教学部の日となっています。
吉井 竜の口の法難の後、佐渡の地で日蓮大聖人は、こうつづられました。
 「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし」(御書232ページ)
 一切経を学ばれた大聖人は、いかなる大難が起ころうと妙法への確信が揺らぐことはありませんでした。むしろ大難が起こるほど、経典の通りだと仰せになり、「いよいよ悦びをますべし」(同203ページ)と大歓喜の境涯で妙法流布に戦い抜かれました。
原田 仏意仏勅の学会にも、さまざまな障魔が襲ってきましたが、それらを勝ち越え、より力強く世界広布を進めてきました。師匠の指導のもと、常に御書を通して大聖人の御精神を拝し、実践してきたから成し得たことです。
杉本 池田先生の『若き日の日記』を読むと、先生が恩師・戸田先生の事業を支え、活動との両立に奮闘されるなかで、毎日、御書をひもとき、御聖訓とともに進んでおられた姿が浮かび上がってきます。
橋元 入信から3年後、先生が22歳の時の日記には、こうあります。
 「戦いは、毎日激烈を極む。唯、勝つことを願い、前に前に進む以外の道なし。仕事も大事、而し、御書の研究を、確実にすることを、決して忘れぬこと」
棚野 26歳の時は、こう記されています。
 「教学を深めねばならぬ。哲学を深めねばならぬ。教学が、学会の骨髄になってゆく事は必定であるからだ。指導者の第一の必須条件となるからである。情熱も大切。実践も大事。それに、英知が、更に重要となるなり」

〈「納得」が原動力に〉
吉井 1956年(昭和31年)、池田先生が指揮を執られ、圧倒的な勢いで拡大の実証を示した「大阪の戦い」でも、勝利のリズムをつくり出したのは先生による御書講義でした。
原田 教学は、信心の確信を得られます。納得を生みます。誇りと喜びが沸き上がってきます。それが戦いの原動力となります。
正木 とくにリーダーは、同志への指導や激励の際に、一節でも御書を拝して語っていきたい。そのために日々、御書を学んでいくことです。
吉井 「大白蓮華」の「勝利の経典『御書』に学ぶ」や聖教新聞の「御書とともに 名誉会長が指針を贈る」、「きょうの発心」、教学紙面など、教材は数多くあります。池田先生の小説『新・人間革命』や随筆、メッセージなどに御聖訓が出てくるたび、御書を開き、ノートに記しながら研鑽している方もいます。
原田 「実践の教学」が学会の伝統です。闘争の中で学んだ御聖訓は、わが人生の指針になります。“戦う中で学ぶ”実践を重ねていきたい。