太陽の励まし・読書・災害と文明 他

2012年9月28日(金)更新:1

【わが友に贈る】
 対話の鉄則は 話を「聞く」ことだ。
 最大に「敬う」ことだ。
 相手から「学ぶ」ことだ。
 真心と真剣の人たれ! (聖教新聞 2012-09-26、以下同)


寸鉄
●自主的に社会に尽くす創価の青年は市民の模範―市長(ボリビア)。君よ 地域の光たれ
●強き信心で敵をも味方に変えよ―恩師。何ものも恐れず語れ! 後継ならば
●「人間には無限の向上が可能」文豪(トルストイ)。広布の理想に生きよ! そこに力は湧く
●女子部の「10帰(テンキ)運動」を皆で応援。無事故が一切の勝利の根本。油断排せ
●口頭で済む事もメールで―3割と。近くて遠い絆。「会って語る」労惜しむな


【中国建国63周年の祝賀会 学会代表が出席】
程永華駐日大使は、中日の友好は、両国の偉大な先人たちの多大な苦労の上に築かれてきたものであると強調。今後もあらゆる障害を乗り越え、友好関係の発展に共に努力していきたいと述べた。
 学会代表が池田名誉会長からの祝意を伝えると、程大使は「池田先生と創価学会の皆さまには、両国友好のために大変に尽力していただき、感謝の念は尽きません」と述べた。


【名字の言】
創価教育同窓の集い(22日)には、6000人が集った。「創価同窓の君たちは、全員がダイヤモンド」と創立者。創立の心を継ぎ、民衆貢献の大活躍をと期待せずにはいられない。


【祈りこそ勝利の源泉 各部代表者会議を開催】
●これには、池田名誉会長がメッセージを寄せ、リーダーの心新たな大決意と、「やらんかな」の気迫が、全体に波動を起こしていくと強調。その自覚と誇りをもって、生き生きと張り切って進んでいただきたいと述べた。
 また名誉会長は、55年前の1957年(昭和32年)、東京・葛飾の初代総ブロック長として、同志と共に奮闘した歴史を述懐した。その後、地域に根ざした模範の組織を建設するための指針に言及。(1)勤行・唱題こそ幸福勝利の源泉。白馬が天空を駆け、大宇宙をも動かしゆくような強盛なる祈りで前進しよう (2)学会は麗しい同志愛の世界。歓喜と功徳に満ちた、温かな人間の交流のある組織を築こう (3)師弟共戦とは、わが分野で師に応え、最高のものを創り上げること。弟子の戦いを貫こう (4)信心とは勇気の異名。勇気の二字で全てを勝ちまくろう――との諸点を確認した。
 そして、御書の「此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆らう道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然れどもいまだこりず候」(1056ページ)を拝し、日蓮大聖人のお心に直結する創価の負けじ魂で、何があろうとも「いまだこりず候」と胸を張って、立ち向かっていくことであると力説。健康第一で、金剛不壊の団結も固く一切に勝利をと呼び掛けた。
 原田会長は、東北に励ましを送り続ける師の心を心として、被災地へ一層の支援をと強調。リーダーは今こそ広布の最前線を駆け、祈りと執念で常勝の基盤を築こうと訴えた。


【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも) (6)兵庫〈上〉 あなたに人生の金メダルを】
●「人生は長い。いろいろなことがある。
 この信心を、きょうやったからといって、すぐに良くなるというものでもない。でも、必ず幸せになれる信心だから、一生懸命頑張るんだよ。私に付いてくるんだよ」
●「つらい時、逃げたいと思った時は、いつもあの日の先生の手の温もりを思い出してきました。子どもたちまで、出会いをつくっていただいたことが最大の喜びです。
 地域に幸福のスクラムを広げて、先生に“勝利”のご報告がしたい」
●初日の授業中、突然、教室のドアが静かに開いた。「授業中、お邪魔いたします」
 創立者の名誉会長だった。
 授業を中断させることをわびつつ、マイクを握った。
 「皆さん、よくぞ来てくださった」「ともかく皆さんのことを応援したいのです」
 名誉会長自身、戦争、肺病のため、学びたくても存分に学べない青春を送った。師・戸田第2代会長の事業を支えるため、通っていた夜学も断念せざるを得なかった。
 苦学の人を励ましたい心情が、加藤さんには痛いほど伝わってきた。
 「来年も、再来年もいらっしゃい。毎年いらっしゃい」
 その一言が、“来年は無理かな”と思っていた加藤さんの心を電撃のように貫いた。
 翌年8月14日からの第2回スクーリングに、生後5ヶ月の太陽さんを背負って参加したのである。〈現在、創大では、子ども連れでの参加は自粛をお願いしている〉
 意気込んで来たものの、乳児を連れての受講の苦労は、想像をはるかに超えていた。
 14日、太陽さんを背負い、テキストを入れた鞄と、おむつや着替えを入れた鞄二つを抱え、重い足取りで歩いていた時のことだった。
 1台の車が、横を通り過ぎると、不意に止まった。
 ドアが開くと、男性が加藤さんの方に走ってくる。
 「先生から『ご苦労さまです』との伝言です。御宝前のお菓子をいただきました!」
 名誉会長との出会いの感激を胸に、加藤さんはスクーリングを頑張り抜いた。
●「池田先生の言われた通り、10代、20代を頑張って、人生を開くことができました。先生には感謝しかありません」と語る加藤さん。


【きょうの発心 師と共に広布に走る喜び】
御文 此の神力品の大瑞(だいずい)は仏の滅後正像二千年すぎて末法に入つて法華経の肝要のひろまらせ給うべき大瑞なり (瑞相御書1147ページ)
通解 この神力品の大瑞相は仏滅後、正像二千年が過ぎ末法に入って法華経の肝要が広まるという大瑞相である。
法華経神力品の十神力は、末法に南無妙法蓮華経の題目が弘まる瑞相であると示された御文です。
末法に真実の平和の大道を切り開くため、師と共に、世界広布という偉大な使命に戦えることほど、大きな功徳はありません。


【読書】
・『仮説の昭和史(上下)』保阪正康著 毎日新聞社
●本書の主軸となるのは軍が先導し、敗戦に向かって絶望的な坂道を転げ落ちていった日本の姿。その道程がいかに誤った選択の連続であったかが仮説の検証を通じて鮮やかに浮かび上がる。そしてそのことから、現在の我々が学ぶべき教訓を抽出しようとする。
 例えば戦時中の「大本営発表」が国民を欺く虚偽に満ちていたことを、著者は福島第一原発事故後の情報操作と重ね合わせ、日本社会の病根は少しも変わっていないと嘆息する。本書の「IF」は、歴史の失敗から得た教訓でよき未来を拓くためのものなのだ。


【災害と文明 悲しみのなかで絆を確かめる 作家 石牟礼 道子 同苦する心から生まれる言葉 “形にならないもの”から始めたい】
●「何がつらいかと言えば、身内に見放されたり、仲が良いまでいかなくても近所だった方々と、そのつながりが切れてしまうこと、これほどつらいことはないのではないでしょうか。水俣病で一番つらかったのは人との絆が切れたと感じる時でした」
●「私には書くことしかできませんから、水俣病の患者さんたちのことを、その時々に書いてきました。でも、助けられてきたのは私の方です。先日、明水園に胎児性患者の(鬼塚)勇治君たちに会いに行きましたけれど、子どもの時から面と向かっては話をしていませんし、勇治君も口をきけません。でも、私の首を支えようと一生懸命に届かない手を伸ばしてくれるんですね。上がらないはずの手を伸ばして、私の首を支えようとする。加賀田清子ちゃんは、私の病気を心配して、『石牟礼さん、頑張ってね、つらかでしょうが』と励ましてくれます。私はもう言葉が出ませんでした。あの子たちは自分たちの病気が治らないことも全部分かっているんです。それでも人を慰めようとする。人はつらい目にあうと、魂が清められるのでしょうか」
●「東日本大震災では罪も過ちもない多くの方々が亡くなられ、今なお、たくさんの方が行方不明になっていると聞いています。多くの魂が帰るべき場所を失っておられます。何ということでしょうか。その方々を『人様』とお呼びし、忘れないでいたい。亡くなられた方々との絆を切ってはいけないと思います。思ってさしあげれば、亡くなった方々の魂も帰るべき場所を見失わずにすむのではないでしょうか」
●「水俣病では、直接の原因となった有機水銀に研究者がたどりつくまで、いろんな原因が語られましたね。たくさんの重金属の名前も聞きました。不知火海(しらぬいかい)には、たくさんの“毒”が流れ込んでいるのではないでしょうか。海を全部さらってみることはできませんから、分かりません。近代化の過程で、“科学毒”が環境を汚しているのではないでしょうか。私たちが思っている以上に、多重、複合汚染が進んでいるのかもしれません。今、人類が体験したことのない“科学毒”によって、巨大な人体実験が進行しつつあるような気がします。何とかしてそれを止めなければならないと思います」