寸鉄・民衆を護る兵士の像・地域紀行・世界の機関紙誌から 他

2012年10月7日(日)更新:1
【写真展「波涛を越えて」 25周年を記念 横浜・山下公園で開幕14日まで】
●海外航路の船乗りは、ひとたび海に出れば、数カ月から数年は自国の土を踏むことができない。「板子一枚下は地獄」といわれるように、常に危険と隣り合わせでもある。
 その中で、互いに信心を錬磨し、社会貢献の人材に成長するため、1971年(昭和46年)8月10日、37人で「波涛会」が結成された。
 それを誰よりも喜び、期待を寄せたのが池田名誉会長だった。
 「大事な人材だ」「船に乗れば、たった一人で信心に励まなくてはならない。しかし、その一人から、広宣流布の航路は開かれる」
 メンバーとの懇談、代表との記念撮影、留守を守る家族との勤行会など、名誉会長は友を励まし続けた。


【わが友に贈る】
 心弾む対話の秋!
 会って語り合えば 絆は一層強く美しく!
 大誠実を尽くして 宝の友をつくれ!


寸鉄
●学会は非暴力運動の最前線に立つ国際連帯(ネットワーク)―平和活動家。人間復興の砦と
●きょう「三重の日」。不屈の魂は赤々と。師弟誓願の広布拡大の金字塔を
●「勇気のない所に栄光はない」英雄(ボリビア)。限界を破れ。挑戦の心が勝利の扉開く
●「初対面での会話」は半数が苦手と。自ら声をかける人に。新たな友情結べ
●未公開株詐欺が急増中。「必ず儲かる」等の甘い誘いには裏がある。警戒を


【創立の月へ!青年を先頭に 師弟の中国方面が対話月間】
●10・8「中国・師弟原点の日」記念の「対話拡大月間」が8日から始まる(11月18日まで)
 1956年(昭和31年)10月8日、池田名誉会長は、中国方面を初訪問。開拓闘争など中国広布の突破口を開いた。
 以来56星霜。中国の地に刻まれた師弟共戦の精神こそ、同志の原動力である。


【未来の宝よ育て 香港創価幼稚園で晴れやかに入園式】
創立者の池田SGI創価学会インタナショナル)会長はメッセージを寄せ、入園した201人の前途を心から祝福。「明るく、あいさつをしよう」「早く寝て、元気に起きよう」「絵本をたくさん読もう」と、三つの約束を交わした。
●友だちを大切に!あいさつや読書を頑張ろう!
●「創立者の期待に応え、毎日元気よくあいさつし、良い本にたくさん触れていきましょう」


【イギリス婦人部が研修会】
●「WE WILL WIN」


【民衆を護る兵士の像 アメリカ男子部の友から】
●我らは何があろうとも民衆を、そして学会を護る!――勇気と慈悲の利剣を磨くアメリカの青年たちが後継の誓いを込めて。


【地域紀行 北海道 戸田記念墓地公園 開園35周年の「人間共和の園」】
●「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ」(戸田先生)
●「『師恩』に報いる――35年の歴史を貫くものは、この池田先生の信念だと思います」
●「厚田の同志にとっては、先生との“約束”を果たす挑戦の歴史でもありました」
●名誉会長は呼び掛けた。
「戸田先生の故郷の厚田は、私の第2の故郷です」
 「皆さんで力を合わせて、ここに幸福の城を築いてください」
●戸田墓円園の開園式(昭和52年)で名誉会長は念願した。「厚田の人々に対しては、信仰の有無にかかわらず、生命と生命の触れ合いを通して、麗しい理想的な人間共和の世界を築いていただきたい」
●90年前からの気象情報を調べ、土壌の改良にも挑んだ。最初は失敗の連続。研究を重ね、来る日も来る日も工夫を続けた。それでも咲かない。
 「絶対に咲く。咲かせてみせる。師匠に誓ったんだ」
 祈った。一本一本の桜の木に、「元気か」「頑張れ」と声を掛け、育み続けた。
 ――十年目の春。ついに、「不可能」が「可能」になった。夢にまで見た満開の桜が園内を包んだ。
●転機は1999年(平成11年)8月。久美子さんに誘われて、戸田記念墓地公園で行われた学会の夏季フリー研修に参加した時だった。
 驚いた。どの墓石も同じ大きさ、同じ形。きれいに整備された芝生に、整然と並ぶ。
 「今まで見てきた墓地とは違う……。お金持ちと貧しい人の墓とでは、一目見てすぐ分かるほど、造りに“差”があった」
 学会には、人間への温かな“眼差し”がある――そう直感した。翌月、自ら入会。翌年には「池田先生の“第2の故郷”に尽くしたい」と夫婦で厚田へ移り住んだ。
●ふるさとの温もりを、人の繋がりを永遠に残したい――友の挑戦は今も続いている。
●「私たちの手で、厚田の地を、希望が来る『望来(もうらい)にしていこうよ』」(小説『新・人間革命』)――この師の言葉を、厚田の友は我が使命と捉えている。その実現こそが、真の意味で師匠への顕彰となり、弟子の報恩の道であることを確信しているからだ。
 厚田の「人間共和の世界」は戸田墓園と共に、大きく広がっている。今や、地域の4割が聖教新聞を購読。戸田会長と池田名誉会長は共に厚田村の「栄誉村民」、石狩市の「特別功績者」である。


【社説 あす、離島部の日 地域で模範の“全権大使”と輝く】
●ノーベル平和賞受賞者であるアルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士は語った。「小さな村のなかに、そして、小さな町のなかに、無名でも、個人や社会の手本となる人がいる。日々の暮らしのなかで建設的に生きている人たちがいる。そこにこそ、目を向けるべきです」
●こうした離島の同志に常に目を向け、渾身の励ましを送り続けてきたのが、池田名誉会長である。
●「一つの島というのは、広くいえば、一つの国と同じである」「太陽が昇れば全地球上が明るくなるのと同様に、一人の強信者がいるならば島全体が希望に包まれ、歓喜に満たされていくといわれるような存在であっていただきたい」と深い使命をたたえた。
●部歌「正義の勝利島」に「断じて護らむ 父母が 涙で築きし この民衆城を」と歌われるように、草創の同志たちは名誉会長の激励と師弟不二の誓いを抱きしめて、旧習深い地の誤解や偏見を、歯を食いしばり、岩盤に爪を立てるようにして乗り越えてきた。今や地域行事に学会は欠かせない存在となり、青年部が希望の存在として社会で実証を示す地域や、会員世帯の2倍以上の人が本紙の愛読者という地域もある。
●名誉会長は離島部の友を最大に賞讃し、つづっている。「広宣流布は、一人立つことから始まる。勇気をもって、一歩を踏み出すところから、世界は変わり始める。これが、一念三千の妙法の極理である。これからも、勇気また勇気の一歩を重ね、偉大なる民衆の大勝利の波動を起こしゆくのだ」(『随筆 出発の光』〈人類の平和の大道〉)


【きょうの発心 三代会長有縁の地に勝利の旗を】
御書 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる(大悪大善御書、1300ページ・編1431ページ)
通解 大事には小瑞はない。大悪が起こるのは大善がくる前兆である。
●どんな困難も必ず転換していけることを示された、大いなる希望の御金言です。
●双方に負傷者が出るような交通事故を起こしてしまったのです。途方に暮れる私に、先輩幹部がこの御文を通して「大丈夫! 大丈夫よ!」と励ましてくれました。その温かな声は、忘れることができません。たくさんの同志の真心に支えられながら、その後、立ち直ることができました。
 “学会員で良かった”と、心の底から感謝が湧きました。この時、“これからは、師匠と同志への恩返しの人生を”と決意。2000年には、晴れやかな勝利の姿で、先生と再びお会いすることができたのです。


【世界の機関紙・誌から 首都有数の総合病院の看護師――私には悲哀に負けない師子王の心がある! ドミニカ共和国SGI カルメン・ディアスさん 脳腫瘍による右目の失明から再起し復職】
〈絶望を希望に転換〉
●とてもつらい現実を目の当たりにし、「もう二度と(手術前と)同じ人生は歩めない」という絶望感に打ちのめされそうになりましたが、その時、私は深呼吸していました。そして、「こんな時こそ唱題だ」との確信を奮い起こしました。
 何よりも心の支えとなったのは、SGIの同志の存在でした。私のことを心配して、交代でずっと付き添ってくれたのです。「家族でもない私に、ここまでしてくれるのか!」と感動で胸が熱くなりました。

〈愚痴は福運を消す〉
●「池田センセイは“愚痴は福運を消す”って指導されているじゃない、もったいないわ!」と“弱気の虫”を、明るく吹き飛ばしてくれました。
●ある日、私はハッとしました。
 右目の視界を失い何もかも諦めていた自分、弱気な自分、悲哀に浸っている自分の不甲斐なさに……。
●「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(御書1124ページ)
●“立ち上がろう!視力を失っても、人生を全うしている人はたくさんいるではないか。私にもできないわけがない!”
●そうです。この時、私の心の眼が開いたのです。
 その日から私は、御本尊に強盛に祈り、活動と弘教に全力で取り組みました。「ネガティブ(絶望的)な状況を、必ずポジティブ(希望的)なものに転換してみせる」「断じて変毒為薬する」と強く決意し、唱題根本に闘いました。
 祈り闘う日々の中で、私の人生は大きく開けました。健康面では、医師から「大手術から、こんなに早く回復した患者は初めてだよ」と言われるほどに回復。

〈センセイと共に前進〉
●「一家和楽を祈ってみよう」
●唱題すると、生命の底から力が湧いてくるのです。信仰して、心から理解できたのは、「私が直面している問題は、他ならなぬ自分自身に起因している」「自分が変わることで環境を変えていくことができる」ということでした。
 入会後は、以前のように落ち込まなくなりました。兄弟や周囲の人々との人間関係も徐々に改善。うれしいことに、明るく変わっていく私の姿に仏法の偉大さを感じた父も入会したのです。
創価家族のありがたさに、そして世界中の同志に希望の励ましを送る光源