生きている限り、必ず芽を出す

2013年2月19日(火)更新:3
【名字の言】
 名棟梁が若かりし日を語る。大工の親方だった父のもとで働いていたが、全国の腕自慢が集まる東京にあこがれ、家を飛び出した。修業を重ね、腕を上げた彼は、鉋(かんな)の削りくずを故郷に送り、これまでの不孝を詫びた▼添え書きはなかったが、「あいつも大した大工になった」と父は涙した。“くず”とは言うが、その1枚の鉋くずに、父は息子の成長を見た。建築史家・村松貞次郎さんの『大工道具の歴史』(岩波新書)にあるエピソードだ▼蘭の栽培が趣味の多宝会の壮年がいる。温室に数々の鉢植えが並ぶ。皆、株分け後、“くず”と捨てられる部分を譲り受け、育てたものだという。「生きている限り、必ず芽を出す」と彼。中には新芽を待って4年目の鉢も。「開花までに必要な時間は、それぞれだから」▼壮年の人生も同じだった。2歳で父を亡くし、15歳で座卓の工場へ働きに出た。修業4年間は無給。その後も後輩たちの出世を尻目に、苦節が続く。それでも腐らず、まじめに生きた彼は後年、工場長として活躍した▼「人一倍の苦労は、全部、肥やしになった」。そう語る彼が、ひときわ美しい花を付けた蘭を見せてくれた。ある蘭展で部門1位になったという大輪は、彼の人生と重なって見えた。(素)
   (聖教新聞 2013-02-19)