震災の中で刻まれた人のいたわり、励ましはいつまでも心に生き続ける

2013年3月10日(日)更新:4
【名字の言】
 「歌を聴いたの、久しぶりね」と婦人が言った。2年前の3月下旬のある日。宮城・気仙沼市で友の安否確認に走っていた車中、それまで訃報ばかりを伝えていたラジオから優しいバラードが流れてきた。津波と火事で廃虚と化した街の中で、初めて心が癒やされたという▼どんなに意を尽くした言葉も、力を失ったかのように思えた東日本大震災後の苛酷な日々。その中で、理屈抜きに心に届いたものの一つが歌だった▼震災後、民主音楽協会等が共催した、被災地の小・中学校で行う「東北希望コンサート」。津波に直撃されながらも最小規模の被害にとどまり、“奇跡の集落”と呼ばれた岩手・大船渡市の吉浜に、昨年秋、音楽家秦万里子さんが赴いた▼吉浜中学校で自作の曲「生まれたんだもの意味あるさ」などを披露し、呼び掛けた。「私がデビューしたのは52歳の時です。それまでずっと作曲家になると思い続けてきたの」。だから何があっても負けないで、自分の未来を信じ続けて、と▼「歌は終わった。しかしメロディーは心の中に響き続ける」と米国の作曲家アービン・バーリン。時は、多くのものを過去へと押し流す。しかし、震災の中で刻まれた人のいたわり、励ましは、いつまでも心に生き続ける。(應)
   (聖教新聞 2013-03-09)


PUSHIM 「I pray」
http://www.youtube.com/watch?v=ZT6AKQUfQW8