きょう、広宣流布記念の日 未来を創る挑戦の弟子たれ

2013年3月16日(土)更新:3
【社説】
 先日の地区座談会で、女子部の有志が「3・16」の歴史をクイズ形式で発表してくれた。1958年(昭和33年)の3月16日。戸田城聖第2代会長のもとに、池田青年室長(当時)を中心とする青年部6000人が集った。それ以降、「広宣流布記念の日」として、学会精神を新たにする節目となっている。
 「私、あの場にいたのよ」。婦人部の一人が口にした。座談会の参加者たちが「えっ、そうだったの!」と口々に驚く。それをきっかけに、各人の信心の原点について、“体験談の花”が咲いた。

〈誰が来なくとも青年と共に〉
 戸田会長が掲げた「75万世帯の折伏」は、前年(1957年)の末に達成されていた。「将来のために広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」。この戸田会長の思いの結実が、「広宣流布記念の日」である。
 時の首相が出席を約束するも、欠席。「『誰が来なくとも、青年と大儀式をやろうではないか!』。後継ぎの真実の青年さえいれば、それでよいというのが、(戸田)先生の胸奥のお心であった」と池田名誉会長はつづっている。
 戸田会長は、全国から夜行列車や貸し切りバスで駆けつけた青年たちに、心尽くしの豚汁をふるまった。当日は歩くのも難しく、病を押して参加した。その2週間後、58年の疾風怒濤の生涯を終えた。
 「地球民族主義」「原水爆禁止宣言」をはじめ、戸田会長はさまざまな次元で学会員一人一人の「幸福を開く物語」「希望を生みだす物語」を紡ぎ、語り、書き、自ら動いた。「3・16」は、戸田会長がその生涯の最後に青年部へ託した「後継の式典」となった。

〈大河の流れを広げる熱情〉
 池田名誉会長の指揮と行動は、こうした恩師の「大いなる智慧の闘争」を受け継ぎ、その構想を目に見えるかたちにし、さらに力強く国境を超えて展開する挑戦にほかならない。
 「3・16」の歴史をつづった長編詩で、名誉会長は訴えた。「その広布の大河の流れが/歴史の必然であるか否かを/君よ問うなかれ/汝自身の胸中に/自らの汗と労苦により/広布を必然たらしめんとする/熱情のありや無しやを 常に問え」
 広宣流布の大河は常に、「広布を必然たらしめん」とする「熱情」によって広がる。「3・16」を、「熱情のありや無しや」をあらためて問い直し、わが地域の未来を創る「誓いの日」としたい。
   (聖教新聞 2013-03-16)