指導 信心とは勇猛精進なり
2013年3月18日(月)更新:3
【名誉会長と共に今日も広布へ〈11〉】
我らの全ての戦いは、御本尊につながり、広宣流布につながり、信心につながる。
全部、功徳になる。これを深く確信していただきたい。
戸田先生は叫ばれた。
「大聖人は生涯、戦われたではないか。御書に『仏法と申すは勝負をさきとし』(1165ページ)と書いてあるではないか。だから戦う以外にないではないか」
何かで挑戦していかないと、人間は堕落する。苦難と戦ってこそ人間革命できる。だから間断なく戦うのだ。
信心とは、「勇猛精進」である。題目をあげ、最高の勇気をもって、たゆみなく前進また前進するのだ。
「勇猛精進」の心が輝いていれば、わが胸中に不老不死の大生命力が湧き上がる。
◇ ◆ ◇
一人を強くする。民衆を強くし、さらに賢明にしていく。そのための組織である。そのための学会である。
組織は、全員が明確な責任をもっていくことだ。形式主義に陥ってしまえば、功徳は出ない。それを打破していくのが、信心である。
どこまでも、一人一人を強くするために、幸福にするために、リーダーは真剣に祈っていくのだ。誠実に、心を尽くして話していくことだ。
誇りも高く、正義と真実を語りゆく同志ほど、尊い人はいない。御聖訓には、「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(御書1448ページ)と仰せである。
社会に希望を打ち立てゆくために、苦労して一生懸命に戦ってくれている人を、最大限、讃え、励ます。心からねぎらい、感謝する。皆の苦労に応え、朗らかに勝利の道を開くことこそが、リーダーの責任であり、使命である。
(聖教新聞 2013-03-18)