わが友に贈る・寸鉄・教学論苑「仏縁の拡大」・介護のページ 他

2013年5月22日(水)更新:7
【9月 青年部教学試験2級を実施】
●『日蓮大聖人御書全集』の発刊の辞の冒頭には、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」(御書1361ページ)の御聖訓とともに、戸田第2代会長の言葉が記されている。
 「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」
 仏法は“机上の学問”ではない。自身の課題を乗り越えるために。悩める人に勇気を送るために。よりよい社会を建設するために――草創の友は御書を繙き、一節一節を心肝に染めてきた。広布に戦う中で学び抜くのが、学会伝統の“実践の教学”なのである。
   (聖教新聞 2013-05-21、以下同)


【「パンプキン」6月号が完成】
●「故郷は『自分たちで作るもの』です。今、暮らす地域を新たな故郷とし、今、縁する人を同郷の友として、友情を広げていきたい」


【わが友に贈る】
 「心の思いを
 響かして声を顕す」
 真心の一言が
 人生を開く力になる。
 大確信の励ましを!


【座談会は希望の広場 各地でにぎやかに 原田会長は埼玉へ】
●「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(御書1448ページ)
●「一人一人の大誠実の対話で、社会に善の連帯を広げよう」(原田会長)


寸鉄
●「SGI会長の指導(スピーチ)は平和への獅子の雄叫び」弁護士(ブラジル)。不戦世界へ民衆城を構築
●きょう島根の「女性の日」山光に婦女一体の大連帯愛する郷土を幸の花園に
●恩師「信心とは必ず勝つと心を決めることだ!」勝負は勢い。大胆に動け
●高齢者1日40分の運動でがん・認知症2割減と。友の為歩き健康人生飾れ
国勢調査かたる不審電話が続発。個人情報狙う悪人に注意。賢明に撃退!


【強き信心の人が勝つ 群馬、島根 婦人部が集い】
●強き信心の人が最後に必ず勝利者に!
●「師との絆強き“山光”から、対話の輪を広げていきましょう」


【ペルー ラス・アメリカス大学総長から自著】
●自著『欲しいものを願いなさい〜夢を実現するために』が届けられた。
●「現在、私が学び、理解を深めている池田大作先生の偉大なる精神的なご功績に対する、敬意と賞讃の念を込めて」(献辞)


【広布の黄金柱 メキシコ壮年部】
●「経済苦でどん底を味わったものの、『誓願の祈りを!』との同志の励ましで再起。職場で信頼を勝ち取り、借金も返済することができました」
●「広布の使命に立つ壮年部は、皆がメキシコSGIの黄金柱として、日々、人間革命していきます!」


オーストリアで友好総会】
●地域の友人は「毎年、参加しています。青年が凛々しく行動している姿を見ているだけでうれしくなります」と。また、未入会の家族も「信仰に生きる息子の姿に、大きな喜びを感じます」との声を寄せた。


【教学論苑 仏縁の拡大 手島副会長】
〈必ず「成仏の因」を刻むことができる〉
●「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(御書552ページ)
●「仏種は縁に従って起(おこ)る是(こ)の故に一乗を説くなるべし」(同1467ページ)
●「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり」(同552ページ)
●仏法を聞いた相手は、素直に信じれば成仏の境涯を得ることができ、たとえ相手がこの仏法を誹謗したとしても「毒鼓の縁」によって必ず成仏の因を刻むことができる

《「如来の使」の実践に無量の功徳が》
〈対話に励む同志を互いに称え合おう〉
●「能く竊(ひそ)かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は即ち如来の使にして、如来に遣(つか)わされて、如来の事(じ)を行ず」(法華経357ページ)
●私たちの仏法対話は、仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する最も尊い行為である。勇気を奮い起こして目の前の一人に、ほんの少しだけ仏法の話をしたとしても、その功徳は計りしれない。
●「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書1121ページ)
 法華経や御書に照らせば、私たち学会員の日々の実践が実に尊いものであり、無量無辺の功徳があることは間違いない。
 たとえ仏法対話が思うように進まなかったとしても“勇気をもって一言でも語ることができた”ことを最大に称えていく。「教主釈尊の御使」として活動に励む同志が互いに称え合い、励まし合う中でこそ、広布の勢いは一段と加速していく。

〈全ての人の仏性を礼拝した不軽菩薩〉
●「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」(同1174ページ)
●「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(同ページ)
●この不軽菩薩の修行は、決して過去の話ではない。“全ての人に仏性が具わっている”ことを確信し、人を敬う実践を貫いていくことこそが、自身の宿命を転換し、成仏の境涯を開いていくための直道なのである。
●晴れわたる 不軽の心の 広宣の 友の功徳は 億万劫かな

〈共々に幸福境涯を大きく広げていく〉
●「これまで私は、世界の指導者と1600回を超える対話を重ねてきた。あらゆる分野の第一人者と対話してきた。その対話は、世代を超えた広がりを持っている」(池田先生)
 人間を信じるという一点で世界を結ぼうとされ、世界中の人々と対話を続けてこられた先生のこうした行動こそ、“全ての人の可能性をどこまでも信じ、敬う不軽菩薩の実践”の模範といえよう。
●「不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具(しょぐ)の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(同769ページ)
●一般に「宗教による救済」というと、ともすれば「救う側」から「救われる側」への、“上から目線のアプローチ”になりがちである。しかし、私たちの仏法対話には、そうした上下関係など存在しない。
 万人に仏性があることを信じ、心からの尊敬の念をもって語っていく。対話のなかで相手からいろいろなことを学び、共々に豊かな心を育んでいく。誠意をもって語った分だけ、こちらの仏性も現れ、相手の仏性も薫発される。

〈祈り続けていけば真心は友人に届く〉
●一度の対話で実を結ばなかったとしても、また、仮に反発されたとしても、祈り続ければ必ずその真心は届くという確信を一段と深める体験であった。
 法華経随喜功徳品には、正法が説かれる場で「(人に)勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分(わか)って坐しめば」、その功徳で梵天・帝釈・転輪聖王(てんりんじょうおう)の座を得るとある(法華経521ページ)
 仏法の話をしている場で、座を詰めて座らせてあげるだけで、功徳がある、と。ましてこの仏法を語る功徳の大きさはいかばかりであろうか。
 仏法を語ることほど生命が躍動することはない――。


【介護 読者の体験談 こころの絆】
〈親孝行の道を歩めて感謝〉
●かつて、戸田先生は「青年訓」で「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」と。
 義父母の介護を全うすることで、私もこの“親孝行の道”を歩めたことに、心から感謝しています。

〈楽しく母の“よかった探し”〉
●それまで介護は、本人が「できないから、してあげるもの」と思っていたが、「できること・できたことを探すもの」と思えるようになった。
 今日は、いつもより水分が取れた、一人で着替えができたなど、母の行動に“よかった探し”をしてみると、楽しく感じたものだ。

〈「幸せだった」と自ら合掌〉
●長年、信心に反対していた夫に、亡くなる3日前、私は「幸せだった?」と聞いた。夫は「うん、幸せだった。お前には参った」と、笑顔でペコリと頭を下げたのである。
 最期は家族に囲まれる中、夫は自ら合掌しほほ笑みながら他界。がんを宣告されてから50日の命だった。
 私は今、夫の存在を強く感じながら暮らせることを幸せに思う。今後は、自身の死に向かい、よりよい人生を送る日々でありたい。

〈祖母の喜び支える恩返し〉
●「何もいらないよ。恩返しなんだから」と思いつつ、祖母が人に物を与える行為は、本人の喜びでもあることに気付きました。
 その後は、あらかじめ私が用意した粗品のビニール袋などを手に持ち、「これ、もらうね」と言って帰るようにしました。すると祖母は、とてもうれしそうな顔になったのです。
 小さいころから、祖母に“何かをもらえる喜び”を感じつつ育った私。今では、祖母の“与える喜び”を支えることが、私にできる恩返しだと思っています。


【あおぞら家族】
●訪問詐欺に気を付けて!
●うかつにドアを開けないことね!
●断る時も「結構です」じゃなく「要りません」――とはっきり!
●そうか「結構」は了解と思わせるものね