伸一の心から地区講義を担当している埼玉や神奈川の事が離れなかった

2013年7月12日(金)更新:1
・『一瞬一瞬、自身を完全燃焼させて、全力でぶつかっていく以外にない』
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【新・人間革命 奮迅 五十八】
 男子部班長山本伸一は、埼玉の志木支部川越地区、神奈川の鶴見支部市場地区での講義を続けながら、一九五二年(昭和二十七年)一月には、蒲田支部支部幹事となり、あの二月闘争の指揮を執った。
 そして、布陣が整ったばかりの、支部―地区―班―組のうち、最前線組織である組に光を当て、当時としては未曾有の、一支部で月に二百一世帯という弘教を成し遂げたのだ。
 しかし、どこで、いかなる活動をしていようが、伸一の心からは、地区講義を担当している埼玉や神奈川のことが離れなかった。
 この五二年(同)の十二月九日、川越地区の御書講義が行われたが、あいにく午後から雪になった。初雪である。伸一は、“電車が止まったりしなければよいが……”と思いながら川越に向かった。この日の講義は、午後八時に切り上げた。雪で足元も悪いため、皆の帰宅が遅れたり、事故を起こしたりしないようにとの配慮からであった。
 講義のあと、伸一は、壮年の幹部と二十分ほど懇談した。その壮年は、伸一に言った。
 「今年二月の蒲田支部の戦いには、本当に驚きました。山本さんが指揮を執られて、折伏が二百世帯を超えたんですね。いつか、お伺いしようと思っていたんですが、どうすれば、あんな戦いができるんですか」
 「私は、戸田先生が会長に就任された今こそ、千載一遇の広宣流布の好機であると思っています。この数年で、どこまで拡大の波を広げ、人材を育成できるかが勝負です。仏法史上、これほど重要な“時”はありません。
 だから“弟子ならば立とう! 不惜身命の実践をしよう!”と腹を決めたんです。特に二月は、折伏の総帥たる戸田先生が誕生された月です。そこで、『折伏・弘教をもって、先生のお誕生の月を飾ろう』と決意するとともに、皆にも訴えました。その呼びかけに、蒲田の同志は応えてくれました。
 “先生のために戦うのだ”と思うと、勇気が、歓喜が、込み上げてくるんです。それを蒲田の同志に伝えたかったんです」
   (聖教新聞 2013-07-11)