夏と秋と冬と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり

2013年10月5日(土)更新:4
【名字の言】
 公園に行った子どもが色付いた落ち葉やドングリを拾ってきた。いつの間にか秋の気配が濃くなってきたことに気付かされる▼なぜ葉の色が変わるのか。それは葉の“老化”によって起こるとされる。日照時間がだんだんと短くなり、気温が低くなると、葉の細胞内でさまざまな変化が起こる。全体として葉の働きが弱くなり、色素が分解されたり、新たに色素が合成されたりして、黄や紅に変わるという▼“老化”とはいえ、季節の移ろいに応じ、美しく色付き、輝きを増していく姿には、凜とした気品がある。御聖訓に「夏と秋と冬と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし」(御書1091ページ)と。季節の変わり目には必ず、変化や兆しがある▼同じく凡夫が仏になる時も三障四魔が出来する。障魔に対して、「大変だ」と怯むか、「大きく変われるチャンス!」と立ち向かうか。日蓮大聖人は「賢者はよろこび愚者は退く」(同)と仰せだ▼秋の紅葉は人生の晩年にも似る。多宝会の方々もまた、紅葉が燃えるように自身の総仕上げへ進んでおられる。千変万化の人生にあっても動じず、艱難辛苦の冬を成長の春への糧として、宿命転換を果たしてきたからこそ、その“秋”の姿は美しい。(肇)
   (聖教新聞 2013-10-05)