私たちの心は被災者と共に

2013年10月11日(金)更新:5
【社説】
 東日本大震災から2年7カ月。
 東北の同志は毎月11日を「福光・前進の日」と位置づけて、復興へ、決意を固め合い、挑む友を励まし続けてきた。
 誰もがあの3月11日を振り返り、命の重みに向き合ってきた。私たちもまた、同じ年月を積み重ねてきた。
 宮城県気仙沼市で牛乳販売店を営む壮年がいる。妻と2人の娘、義理の両親を津波で失った。今は小学6年生の長男と仮設住宅に暮らす。
 「どんな2年半でしたか」。先日、そう尋ねると、笑みを浮かべて答えてくれた。「節目は関係ないんだよ」

〈「一緒に生きている」実感〉
 もちろん、節目を大切にしている。月命日には墓に手を合わせ、娘の誕生日にはケーキを買って祝う。
 3・11を生かされた自分たちは何をすべきか。ずっと考えてきたことだ。悲哀を振り払うように日々を懸命に過ごし、気付けば年月が流れていた。
 池田名誉会長は、何度も呼び掛けた。
 「私の心は東北とともにあります」
 悲しみは、時がたてば薄れるとは限らない。深まることもある。それでも前を向けたのは、師の心を抱きしめ続けてきたからだ。心に距離はない。心で師と対話しながら、悲しみに立ち向かい、それでも明日へと進む。その一歩一歩が、未来への希望となり、信仰を持つ人間の底力の証しとなるのではないか。
 宮城・石巻市に住む木工職人の壮年は3人の子どもを亡くした。慟哭し、自分を責めた。それでも、歯を食いしばって生きてきた。
 目の前の一人を励ます日々。友に笑顔が戻ると自分も救われた気がした。子どもたちも喜んでいるだろうな。そう思えるようになると、少し心が楽になった。
 9月8日、石巻平和会館で行われた追善勤行会。その壮年は教えてくれた。「子どもたちと一緒に生きている実感があるんです」

〈“声なき声”を聴き続ける〉
 あの日から920日余。気仙沼の牛乳販売店の壮年が、かつての葛藤を口にした。命を絶とうとしたことがある、と。「今だから話せることもあるんだよ」
 被災した友に寄り添い、“声なき声”に耳を傾け続けてこそ、立ち止まったり後ずさりしながらも前に進む現実の姿が見えてくるのだと思う。友を支える、真の信仰の力も。師を持つ人生の意味も。
 共に生きる。共にあり続ける。その覚悟で、これからも被災者と歩みたい。
   (聖教新聞 2013-10-11、以下も)


【きょうの発心 抜苦与楽の使命に生き抜く】
御書
 人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし(食物三徳御書、1598ページ・編1466ページ)
通解
 人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである。
●人のために祈り動いたことは、全て功徳となり、自身の崩れざる幸福を築いていくと仰せです。
生老病死の苦悩を打開しゆく力が信心にあると確信。また、抜苦与楽という“白樺の使命”を教えてくださった師匠への感謝は尽きません。
 “生命尊厳の世紀を開く”との師の構想を実現すべく、中部白樺グループ、なかんずく自身から、生命を何よりの宝とする“白樺の心”を広げてまいります。